ピンホールの魔術師 回顧 県立美術館で山中信夫展 没後40年、代表作など170点

下野新聞
2022年8月6日

ピンホールカメラを使い、ピンホール写真を芸術の域に高めた試みを行い、1982年に34歳で早世した大阪府生まれの写真家山中信夫(やまなかのぶお)。没後40年の節目に、山中が戦後の視覚芸術に残した足跡を再確認する企画展「ピンホールの魔術師山中信夫☆回顧展(リマスター)」が県立美術館で開かれている。9月4日まで。

ピンホールカメラは、完全に遮断された箱に小さな穴を開け、内部に上下左右逆さまで像が投影されるカメラの原型。71年にデビューした山中の活動期間は病死するまでわずか十数年だが、ピンホールカメラを用いた現代芸術の表現が脚光を浴びた。

代表作である「マチュピチュの太陽」「マンハッタンの太陽」「東京の太陽」のシリーズはピンホールカメラの穴から入る光をフィルムに定着させてプリントした作品。穴はわずかな光しか通さないため露光時間が長時間になり、その間に動いた太陽の軌跡が円環状に映る。まるで太陽にぽっかりと穴が開き、人間の世界をのぞき込むような不思議な感覚に陥る。

部屋全体をひとつのピンホールカメラに仕立てた「ピンホール・ルーム」は部屋を目張りして、フィルムを壁や天井、床に貼り付けて撮影する手法。写真はフィルムを貼ったときと同様に並べて展示される。「9階上のピンホール」では自身も部屋(カメラ)の中に入り、東京・新宿のビル群が映し出された中に自身の姿も投影した。

ピンホールカメラはレンズを使わないため、近距離や長距離にかかわらず全てにピントが合う。その特徴を生かしたのが立体作品「床と壁のピンホール(1)」。ピンホール・ルームと手法は同じだが、壁や床に留まらず、板を坂のように斜めに置き、フィルムを貼って撮影した。どこを切り取っても像はぶれることなく存在する遍在性を示唆している。

山本和弘(やまもとかずひろ)シニア・キュレーターは「レンズを持った私たち人間の目では決して見られない世界を映し出し、ストレートに引き込まれる。あるがままの世界をあるがままに、シンプルな方法で描き、共有したかったのではないか」と話している。

同館が山中の企画展を開くのは87年、2013年以来。作品170点に加え、本人の記録やカメラなどの資料を展示している。(問)同館028・621・3566。