映画「山本五十六」で使用、ゼロ戦模型が笠間に“帰還” 「筑波空」のシンボルに

茨城新聞
2021年5月10日

映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」(2011年公開)の撮影で使用された零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の実物大模型の一部が、茨城県笠間市の地域交流センターともべで公開されている。筑波海軍航空隊記念館(同市)が昨秋、機体を所有していた三沢航空科学館(青森県)から譲り受けた。青森では、日本海軍のエースパイロット・坂井三郎の搭乗機の設定で展示。坂井は、筑波海軍航空隊(筑波空)で操縦の腕を磨いたといわれ、縁のある笠間に“帰還”する格好となった。

飛行訓練中の坂井三郎(後列左から3人目、筑波海軍航空隊記念館提供)=1937年ごろ、霞ケ浦海軍航空隊友部分遣隊

 

機体は、映画のセットや大道具などを手掛ける大澤製作所(埼玉県)が製造。映画「山本五十六」の撮影終了後、映画を製作した東映から、三沢航空科学館が譲り受けた。

科学館は、12年4月から機体の展示を始め、坂井三郎が搭乗した零式艦上戦闘機21型の設定で紹介していた。大きさは、全幅約12メートル、全長約9メートル、高さ約3・5メートル。垂直尾翼には、坂井の搭乗機を示す「V-128」の番号が記されている。

一方、今春のリニューアルを前に展示の入れ替えを行うことになり、昨年11月、航空科学博物館(千葉県)に機体の譲渡を申し出た。これに対し、同館は「坂井三郎に縁のある筑波海軍航空隊記念館で保管すべきでは」と回答。3者で協議した結果、記念館が譲り受けることでまとまった。

記念館は、クラウドファンディング(CF)で寄せられた資金を基に、管理する戦争遺構の旧航空隊司令部庁舎などの改修を予定しており、機体は同事業と並行して保管展示していくという。ただ現在は保管場所が決まってないため、胴体、翼、プロペラなどに分離し、胴体は同センターで、プロペラや関連部品は記念館で先行公開している。

記念館の金沢大介館長(50)は「実物大模型を所有していなかったので、機体が青森から笠間に“里帰り”できたことを歓迎している。保管場所が決まった後は、筑波空の歴史を伝えるシンボルとしてきちんと展示したい」と話す。

三沢航空科学館渉外広報課の引地勝博マネジャー(68)は「ゼロ戦は、日本が戦時中に世界一の航空技術を持っていた証し。日中戦争から太平洋戦争終結まで一国の運命を担って飛び続けた。機体が、坂井三郎に縁のある笠間で保管されるのは意義深い。これからは平和の象徴になってほしい」と願っている。

地域交流センターともべ(電)0296(71)6637

さかい・さぶろう
1916~2000年。佐賀県出身。佐世保海兵団、横須賀の海軍砲術学校を経て、1937年霞ケ浦海軍航空隊入隊。自伝によると、その後、友部分遣隊(筑波海軍航空隊)で初めて飛行訓練を行った。太平洋戦争などでゼロ戦に搭乗し、200回以上の空中戦に参加したと伝えられている。戦後、海軍時代の経験をつづった著書「大空のサムライ」がベストセラーになった。

地図を開く 近くのニュース