「鎌倉殿」八田知家を紹介 国宝3点、小田氏の歴史も 茨城・土浦市立博物館
鎌倉幕府の御家人、八田知家や子孫の小田氏の歴史を紹介する企画展「八田知家と名門常陸小田氏」が、茨城県土浦市中央の市立博物館で開かれている。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する知家から土浦、つくばゆかりの小田氏までの流れを取り上げる。国宝や新しい寄贈品を含め貴重な資料を一挙に展示する。5月8日まで。
常陸国南部を支配した八田知家は、鎌倉幕府を開いた源頼朝(鎌倉殿)に信望があり、常陸国の守護に任命された。当地は常陸平氏の多家氏の力が強かったことから、知家は「多家氏に野心(謀反)あり」と頼朝に報告、用地を没収させ、1193(建久4)年の政変につなげた。
鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」には、幕府の13人の合議体に知家が含まれることが記されている。八田氏は4代目の時知から小田氏を名乗った。小田氏は現在のつくば市小田に居城を構える。南北朝時代、後醍醐天皇の南朝側に付いていたが、足利氏の北朝に敗れると北朝側に転じた。
8代の孝朝は足利尊氏から信頼されて、力を持った。文書の始めに花押と、命令を下す「下文(くだしぶみ)」が残され、孝朝が有力人物だったことを示している。佐竹氏らと共に関東八屋形と呼ばれ、足利将軍の側近となった。
戦国時代の15代、氏治は上杉、北条氏らに囲まれる中、北条氏と手を結んだ。武田と北条の同盟関係に基づき、武田信玄から小田氏家臣が武田領内に入れる通行許可書を発行。信玄の書状が今回小田氏子孫から寄贈され、展示されている。
戦国時代の小田氏の動きを記した国宝「上杉家文書」は見どころの一つ。「関東幕注文」「小田みかたのちり」「多賀谷祥聯(しょうれん)書状」(米沢市上杉博物館所蔵)の国宝3点を、4月10日まで見ることができる。戦国時代に居城を失った小田氏の子孫が江戸時代、全国各地で士官先を探しながら生き残った史実も多数の資料でひもといた。
西口正隆学芸員は「関東名門の武家について、実物の資料に触れながら思いをはせてほしい」と語った。