江戸屋敷、津軽藩とお隣さん? 大田原「那須家の雛人形」展で絵図初公開

下野新聞
2017年2月1日
初公開の「永代御江戸図」と、奥が「那須家雛人形」

 【大田原】南金丸の市那須与一伝承館で、特別展示「那須(なす)家の雛(ひな)人形」が開かれている。江戸末期に津軽(つがる)家から招いた養女が持参した「那須家雛人形」と、初公開の「永代御江戸絵図」を展示。同図は雛人形が那須家に届いた時期に江戸で那須家と津軽家が隣り合っていたことを示しており、両家の親密な交流を裏付けている。3月5日まで。

 江戸末期、那須家は1千石の旗本、津軽家は陸奥弘前藩10万石の大名だった。

 1849(嘉永2)年、跡継ぎがなかった那須家は、津軽家一門の津軽順朝(ゆきとも)の娘幸(こう)を養女に迎え、さらに婿を取り、那須家を存続させた。展示されている雛人形はこの時、幸が津軽家から持参したものと伝わる。

 永代御江戸絵図はちょうどこの時期に当たる1845(弘化2)年の江戸の町割りを描いており、大名屋敷の配置が分かる。現在の東京都墨田区石原2丁目には「津がる大すミ」の隣に「なす与一」の表記があり、同館は「幸は隣の津軽家から那須家に養子に来たことが分かる。両家の深い縁を裏付ける資料」という。

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