茨城・筑西の戦没者遺族に贈呈 波山の観音像集結 柔和な表情、心の支え
生誕150年を迎えた茨城県筑西市出身の陶芸家、板谷波山(1872~1963年)の記念展で、波山が故郷の戦没者遺族に贈った観音像64体が、会場の一つ、板谷波山記念館(同市甲)に集まった。長年大切にしてきた地元住民らの協力で実現した。故郷をこよなく愛した波山の人柄をしのばせる観音様は「人間・波山」の魅力を伝えている。
波山は日中戦争、太平洋戦争で死没した下館町(現筑西市)在住者の遺族に対し、1951年と56年に計268体を贈った。高さ約10センチの座像で、柔和な面持ちが印象的だ。
「目鼻立ちや姿勢がそれぞれ微妙に違います」と説明するのは、同館の学芸員、橋本空樹(うつき)さん(26)。波山は石こうで観音像の原型をかたどり、彫刻刀で細部を仕上げたという。
観音像を納めた桐(きり)の箱には、戦没者の名前や波山直筆の銘に加え、皇室の美術を制作する「帝室技芸員」の朱印を押した。生活に苦しむ遺族が手放す際の心配りで、橋本さんは「正真正銘、波山が贈ったことを示すもの」と指摘する。
記念館では今回の展示を前に市民団体「下館・時の会」と昨年12月ごろ、観音像の所在を調査した。「下館町戦没者名簿」を基に聞き込みを重ね、市内を中心に少なくとも約90体が現存することを確認した。
このうち64体について、遺族から展示の了解が得られた。仏壇に祭ったり、大切にしまったりする家庭が多く、線香のすすでうっすらと茶色に染まったものもあった。
展示に協力した筑西市の女性(78)は、海軍にいた父を生後間もなく戦争で亡くした。「観音様は母の力になって(姉妹の)私たちを育ててくれた」と力を込める。
観音像の贈呈式で、母は波山から「つらいことがあるだろうから、観音様を亡くなったご主人と思ってお守りにしてください」と言葉をかけられた。「生活に困ったら役に立ててください」とも言われたが、母は生前「絶対に手放さない」と語っていたという。
「母は何かあると仏壇から観音様を出して、手を合わせていた。泣いている時もあった。心の支えになっていたのだろう」と振り返る。母から受け継いで仏壇に祭り、その由来を子や孫に伝えている。「大事に代々守ってくれればいい」と思いを口にする。
同会代表の一木努さん(72)は、観音像が受け継がれ、仏壇などに祭られることで「戦死した人や残された人の思いが紡ぎ出されるきっかけになる」と語る。その観音像が一堂に会する展示を通して「波山が故郷を強く思い続けていたことが伝わればいい」と話した。
記念展「板谷波山の陶芸-麗しき作品と生涯」は同記念館のほか、しもだて美術館、廣澤美術館で6月19日まで開催している。