民間人初の可能性 明治期の皆既日食の写真か 県立歴史館で展示

茨城新聞
2020年1月11日

1887(明治20)年8月の皆既日食を水戸市内で撮影したと思われる写真が、県立歴史館(同市緑町)で展示されている。県内で最初に営業写真館を開業した宇佐美竹城(ちくじょう)(1840~89年)が撮った3枚組。日食研究の関係者は、このうち1枚は民間人が国内で初めて皆既日食を撮影した写真の可能性があるとして、宇佐美の挑戦を高く評価している。

写真は、鶏卵紙でプリントされ、縦3枚が横に並ぶ。写真部分は縦5.9センチ、横計8.6センチ。台紙(縦6.5センチ、横10.5センチ)の裏側に「明治廿年八月十九日 日蝕皆既白光…」と題し、皆既日食の様子が細かく記されており、最後に「宇佐美」の名前がある。

写真は、亡くなった地元の郷土史家が集めた史料から見つかり、同市内の会社役員、男性(77)が所有。男性が3年前、手紙で国立天文台天文情報センターに問い合わせたところ、同センター特別客員研究員の大越治さんが調査に乗り出した。その後、茨城大の野沢恵(さとし)准教授も加わり研究が進められた。

日食は太陽、月、地球がほぼ一直線に並んだ時に月が太陽の前を通り、太陽の一部または全部を隠してしまう現象。撮影日時の1887年8月19日は、近代日本で最初に本州で皆既日食があったとされ、政府観測班が新潟県内で撮影した画像も残るが、民間人の写真は確認されていなかった。水戸は新潟と同様に皆既帯だった。

大越さんによると左側の写真は明らかな加筆があり、中央の写真も修正の可能性があるが、太陽の外気層「コロナ」が見える右側の1枚は実際に撮影された写真の可能性が十分あるという。

当時、政府が一般にも日食の観測を奨励したため、国内には肉眼で見た多くのスケッチが残る。日食は肉眼ではコロナの流線が見えるが、写真では流線は写らない。宇佐美の1枚は、新潟の政府画像と同じで流線がない。

大越さんは「当時は最先端の写真のプロでも、空の現象を撮影しようと思う人はあまりいなかったはず。日食写真に挑戦したということは(宇佐美は)新進の気質があった」と評価する。まだ研究の余地はあるとした上で野沢准教授も「初めて見る日食を、露出などを苦労して調整しながら、何枚も撮ったのではないか」と語る。

写真は、同館が昨年開いたテーマ展(3)「近代茨城の群像-新時代を生きた人びと-」の中で一般に公開。現在も「宇佐美竹城展」の作品の一つとして展示されている。同館(電)029(225)4425

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