《上州行ってみた 城跡》堀や土塁 歴史しのぶ

上毛新聞
2018年12月7日

軍事の拠点であるとともに、政治や経済の拠点でもあった城。県内には自然の地形を活用した難攻不落の城や、歴史を大きく左右した城が存在した。現在残っている堀や土塁、石垣など、わずかな遺構をつぶさに見つめれば、先人の思いが伝わってくる。

◎金山城(太田市金山町)


下克上、版図拡大、名だたる武将との攻防―。1469年から約120年にわたる歴史は戦国ドラマそのもの。山全体を城として難攻不落とうたわれた「石垣の山城」は日本100名城の一つだ。
保存状態が良かったこともあり、1934年に国史跡に指定。太田市は頑強な石垣などを復元し、市内屈指の観光名所となった。ロマンの香りに誘われて東京から足しげく通う著名人もいるという。
城の造りは随所に工夫がある。山頂の本丸へ続く石畳は数段上がりながら緩やかに右に曲がる。左右にそびえる石垣が途中で一段と狭まるため、実際よりも奥行きを感じさせ、敵を惑わせた。
ぐんまこどもの国や大光院をつなぐハイキングコースがある。南麓のガイダンス施設で歴史を学ぶことができる。最近は石垣などを背景に、コスプレ撮影を楽しむファンもいる。

◎岩櫃城(東吾妻町原町)


東吾妻町のシンボルで、切り立った岩壁が特徴的な岩櫃山(標高802メートル)の中腹に築かれた中世の山城。真田氏ゆかりの城として、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の放送以降、歴史ロマンを求め県内外から多くの人が訪れる。観光案内所(1日から冬期閉鎖)のある平沢登山口から本丸跡までは20分程度で登れる。

◎名胡桃城(みなかみ町下津)


武田勝頼の命を受けた真田昌幸が1579年、北条氏が支配していた沼田城を攻める前線基地として築いた。89年の豊臣秀吉の裁定で真田領となったが、北条の家臣が不法に攻略。秀吉は激怒し、小田原攻め、天下統一のきっかけとなった。歴史を変えた城といわれる。続日本100名城で県指定史跡。郭を結ぶ橋や土塁が整備されている。

◎沼田城(沼田市西倉内町)


河岸段丘の台地上にそびえ、堅固な守りを誇った丘城。上杉、後北条、武田氏といった名だたる戦国武将が争奪戦を繰り広げた。1532年に沼田顕泰が築き、97年に真田氏初代城主の信之が天守を造営。5層の天守を持っていたとされる。城跡の沼田公園では城の復元を含む長期整備構想が進められている。続日本100名城。

◎箕輪城(高崎市箕郷町)


長野氏が1500年前後に築城。66年に武田信玄により落城し、98年には最後の城主である井伊直政が高崎に城を移して廃城となった。1987年に国史跡に指定され、日本100名城にも選定されている。高崎市教委は2年前、戦国時代の関東の城門では最大規模とされる郭馬出西虎口門(かくうまだしにしこぐちもん)を再現した。今後、橋や本丸の土塁も完成する予定という。

◎大胡城(前橋市河原浜町)


戦国時代、地元豪族の大胡氏によって築城された。1590年に牧野康成が入城。後に前橋藩領となり、1749年に酒井家の転封に伴い廃城となった。平丘城で近戸曲輪、北城、本丸、二の丸、南曲輪などからなり、堀切で区画。石積みや城門跡も残る。南北670メートル、東西310メートル。春は隠れたサクラの名所でもある。県指定史跡。

◎館林城(館林市城町)


城沼を自然の要害とした平城。徳川家康の家臣で徳川四天王の一人、榊原康政により近世館林城と城下町の基盤が出来上がった。5代将軍、徳川綱吉の城主時には25万石となり、本丸には三重櫓(やぐら)が築かれた。明治期の火災で焼失、取り壊された。現在は土塁などがわずかに残る。1983年、文化会館北側に土橋門が復元された。

◎平井城(藤岡市西平井)


関東管領山内上杉氏の居城として約120年間続いた。1438年ごろ築かれ、北条氏の侵攻により1552年に落城。最後の関東管領、上杉憲政は越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼って落ち延びた。断崖上にある城で、丘陵や川に囲まれている。城跡主郭(本丸跡)は史跡公園として整備され、土塁や堀、橋が復元されている。

◎高崎城(高崎市高松町)


築城は1598(慶長3)年。徳川四天王の一人と称される井伊直政が、徳川家康に中山道の要所となる和田の地(現高崎市)に大規模な城を築くよう命じられ、箕輪から居城を移した。昭和後期に復元移築された乾櫓(やぐら)や東門が往時をしのばせる。お堀は桜の名所として知られ、現在はイルミネーションに彩られている。