益子・大登り窯本焼きルポ 益子、笠間の陶芸家が作業

下野新聞
2018年2月7日

 【益子】人間国宝の陶芸家濱田庄司(はまだしょうじ)(1894~1978年)の大登り窯を3年ぶりにたく「登り窯復活プロジェクト」の本焼きが6日、終わった。益子参考館で、益子と茨城・笠間の陶芸家計87人の作品を両産地の作家が焼いた。温度管理の緊張感と作家の一体感が溶け合い、技術や未来への思いを伝え合う場となった。

 寒空の下、窯から上がる炎に約1メートルまで近づく。熱い。首に汗がにじんだ。

 庄司が愛用した全長約16メートル、幅約5メートルの窯。クライマックスの「攻めだき」は5日昼ごろから始まった。1300度まで温度を急速に上げ、5千点以上を焼き上げる。

■上がらぬ温度

 益子の陶芸家大塚一弘(おおつかかずひろ)さん(51)ら3人が窯最下部の「大口」とその両側から、炎や窯の壁の色を見極めながら断続的にまきをくべていく。「今だ」。声が掛かると、食事中でも即座に作業へ入る。緊張が走る瞬間だ。

 しかし、なかなか温度は上がらない。「まきに湿気が多いのか」。頭を悩ませる時間が続いた。

 6日未明、試行錯誤し窯の上部からもまきをくべると、初めて炎の勢いが一気に増した。「効いた」と周囲の作家からも声が上がった。

 「登り窯は一瞬たりとも気が抜けない」と庄司の孫で参考館館長の友緒(ともお)さん(51)。八つある部屋を夜通し焼き、炎は朝には、最上部の「8番」に達した。作家たちに一体感が生まれていた。

■不便から学ぶ

 自らの登り窯が東日本大震災で甚大な被害を受けた笠間の久野(くの)陶園14代目伊藤慶子(いとうけいこ)さん(57)も、庄司の窯の窯たきに加わった。

 まきをくべながら「普段使う電気窯と違って、読めないのが面白い」と身に染みた。プロジェクトに取り組み、焼き物に対する同じ思いの人に出会えた。「自らの作陶の背中を押してくれる」と力を感じた。

 益子の若手福島晋平(ふくしましんぺい)さん(34)も顔にすすを付けながら、ベテランの窯たきに多くを学んだ。

 登り窯と温度管理などがしやすい他の窯を、手動と全自動のカメラに例えてこう話す。「手動の方が絞りやシャッター速度を考えなくてはならない。自分に深みが生まれるはず」

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