能島彫刻 笠間に集う 「古里に恩返し」 女性像や母子像25点 ギャラリー開設 茨城

茨城新聞
2024年7月21日

茨城県水戸市在住の彫刻家、能島征二さん(82)のギャラリーが、出身地の同県笠間市にオープンした。日展や日彫展などを発表の場に、60年以上も創作を続ける能島さん。「彫刻人生の原点は笠間にある。若い時から地域の人たちが活動を支えてくれた。古里への恩返しのため、笠間市を通じて展示することになった」と語る。笠間工芸の丘に開設されたギャラリーには、生命感あふれる女性像や母子像など寄贈した25点が並ぶ。

東京・浅草に生まれた能島さんは、戦時中、母親の古里だった笠間に疎開。以来、現在拠点とする水戸市に転出するまで45年間、歴史と文化が薫る焼き物の里で暮らした。

物資が乏しかった終戦直後、陶芸用の粘土は身近にあった。能島さんは、産地の利を生かすように幼少期から粘土細工に没頭。動物や頭像を自由に制作した。日本画家の父、清さんからの手ほどきを受けることもあり、「ちゃんと物を見て作りなさい」と助言されたという。

本格的に彫刻に取り組み始めたのは高校1年の時。自己流で作った頭像が県展で初入選し、審査員を務めた水戸市在住の彫刻家、小森邦夫さんから才能を見いだされた。その後、小森さんの自宅アトリエに通い、粘土で半面像や人体像を制作するなど彫刻の基礎を指導された。

「三華」(1995年)

1962年、20歳で日展に初入選した能島さんは、同展などで徐々に頭角を現していく。37歳で会員となり、2000年、57歳で文部大臣賞を受賞。05年には、母子像「慈愛-こもれび-」が日本芸術院賞に輝き、翌06年に日本芸術院会員に選出された。

「展覧会には一度も休まず出品を続けている。ただ、完成作はいつも不満足で、『次こそは』という思いが創作の原動力になっていた」。能島さんは60年にわたる彫刻人生をこう振り返る。近年は、自然災害やコロナ禍、各地の戦禍など、時代や社会の動きを捉え、作品に反映させている。

一方、ヨーロッパ発祥の人体彫刻に、日本人として携わる意味を一貫して模索し続ける。「西洋人をモデルとする均整のとれた造形が全てではない。日本人らしい美の形が必ずある。試行錯誤を重ねながら、そこを究めていきたい」と力を込める。

出身地の笠間市に彫刻ギャラリーを開設する計画がまとまったのが3年前。以後、能島さんは、作品の選定や既存の石膏(せっこう)像をブロンズに鋳造するなど準備を進めてきた。

会場には、30代から70代に手がけた女性像や母子像、頭像などが一堂に並ぶ。

「挑む」(1992年)

会場奥で存在を放つのは群像の「三華」(1995年)。女性像では、伸びやかな立ち姿の「蒼天」(86年)、競技に集中するアスリートを表現した「挑む」(92年)、みずみずしさ漂う「海の詩-エーゲ海-にて」(2012年)など。母子像では、「いだく」(06年)や「夢想-母と子-」(09年)が、子に寄せる母の慈しみを伝えている。

能島さんは、ギャラリー開設に「彫刻に親しむ場となればありがたい。特に子どもや若い人たちに立体表現の素晴らしさを感じてほしい」と呼びかけている。

月曜休館。問い合わせは(電)0296(70)1313。

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