《井伊氏と高崎安中(8)》五料の茶屋本陣 国守った「赤備え」
1590年の徳川家康の関東入りに伴い、国境の守りを任された井伊直政は「赤備え」の鎧兜(よろいかぶと)を国人衆に贈って警備を依頼した。
同年の北条征伐で、碓氷峠を越えた上杉氏や真田氏の軍勢が松井田城を攻略し、北条の重臣・大道寺政繁を降伏させた。旧北条領の関東へ国替えとなった徳川氏は、領地の掌握が必要だった。
直政は当面の敵として越後の上杉や信濃の真田に備えた。当時の群馬長野間をつなぐ主要道は碓氷峠越えと入山峠越えがあり、群馬側の分岐点の関長原(安中市松井田町横川)に関所を設けたとされる。
また、大道寺旧臣で近隣に地盤を持つ佐藤氏に入山峠の警備を依頼。この時、佐藤氏とその一統に赤備えを贈った。一家に2領ずつだったといい、戦前までは入山地区の各家に残っていたとされる。
県指定史跡「五料の茶屋本陣お東」(安中市松井田町五料)にその一つが展示されている。右肩の裏に元暦2(1185)年と書かれているが、源氏が大勝した壇ノ浦の合戦にあやかったもので、実際は戦国期の作という。
市文化財インストラクターで、1992年にお東を旧松井田町に寄贈した中島徳造さん(70)は「地元にとって井伊家の登場は戦国の終わりを告げるものとなった」と話す。
徳川では新参だった井伊氏補強のため、家康は赤備えで有名な武田氏の遺臣を召し抱えて直政の配下にしたという。直政は小牧長久手の戦い(1584年)で活躍し、「井伊の赤備え」の名を知らしめた。
【写真】五料の茶屋本陣お東に展示されている「井伊の赤備え」
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