《いばらき御朱印めぐり》常陸太田・若宮八幡宮 城跡に並ぶ大ケヤキ

茨城新聞
2023年9月4日

■佐竹の氏神「幸せ祈る」

茨城県常陸太田市の旧市街地、鯨ケ丘の高台に鎮座する。清和源氏の流れをくむ佐竹氏の氏神として祭られた。居城・太田城の二の丸跡に当たり、樹齢650年に及ぶケヤキの巨木6本が並ぶ。「若宮」とは仁徳天皇(大鷦鷯尊(おおささぎのみこと))を指す。人家から炊煙が上がらないのを見て課税を一時止め、人民の困窮を救った伝説を残す祭神と、ケヤキの花言葉が「幸運」であることから「幸せを祈る神社としてありたい」と、和田忠彦宮司(81)は願っている。

鳥居のすぐ脇に巨大ケヤキが見える。これは県指定の天然記念物でもある。「ケヤキは土地を固め、水源を保つともいわれる。日照りでも井戸の水は枯れない。城の守りのために佐竹氏が植えた木なのだろう」と和田宮司。幹周りは10メートルを超す。

御朱印には神社自慢のケヤキを指して「國内(こくない)一大欅(けやき)林立」と書き込む。立派な石玉垣に囲まれ西山荘方面の見晴らしの良い風景が押印される。

若宮八幡宮の御朱印

創建は応永15(1408)年。佐竹13代・義人(よしひと)が鎌倉の鶴岡八幡宮から太田城に勧請(かんじょう)した。義人は関東管領・上杉家から婿養子に入った人物。「若宮(仁徳天皇)は八幡神の応神天皇の子でもあることから、関東管領の子であった自身と重ね合わせたのでは」と推測する郷土史家もいる。

この後継ぎ問題は、佐竹庶流の山入氏らの反発を受け、「佐竹の乱」に発展する。本家争いは100年も続く。

佐竹氏は関ケ原の戦い後、秋田へ転封。徳川御三家の水戸藩領となった後には、太田村の鎮守となった。2代藩主徳川光圀の施策により八幡神社の多くが取りつぶしになったが、くぐり抜けた。

境内に林立する大ケヤキ。左は県指定天然記念物に指定されている

八幡神社として水戸藩領内で残ったのは若宮八幡宮はじめ安良川(高萩市)、馬場(常陸太田市)、水戸(水戸市)の各八幡宮と、鹿島神社との合祀(ごうし)になっている額田神社(那珂市)の5社だけ。

去る5月には7年ぶりに御神幸祭を行い、華やかな装束の500人を超える大行列を繰り広げた。十年来の課題として取り組んできた神社の歴史叢書(そうしょ)2冊の発行にもこぎ着け、「地域の歴史文化理解に役に立ちたい」(和田宮司)と、地域と共に歩む覚悟だ。(第1土曜日掲載)

■メモ
アクセス:JR水郡線常陸太田駅前から国道293号で1.6キロ。車で約5分、徒歩約20分。
住所:常陸太田市宮本町2344
電話番号:0294(72)0868
受付時間:午前9時~午後5時
御朱印:500円。現在は書き置きのみ。
補足:拝殿奥の本殿は若宮八幡と太田稲荷神社の2棟が並ぶ合祀方式。仁徳天皇を祭る神社は県内2450社のうち唯一。