大空で散った若き兵 太平洋戦争 燃料タンク、目撃談紹介 茨城・笠間で企画展
太平洋戦争末期に茨城県で繰り広げられた日米の空中戦で、戦死した日本の若き飛行兵に光を当てた企画展が、笠間市旭町の筑波海軍航空隊記念館で開かれている。墜落した機体の燃料タンクや飛行帽の切れ端などを並べるほか、空中戦の目撃談や地域有志らによる慰霊活動を紹介。戦禍の記憶を伝える展示物は、本土防衛のために散った若者たちへの祈りにも重なる。
1945年6月23日、茨城県の涸沼上空と筑波山上空などで、本土を襲来する米軍機と日本軍機による空中戦が繰り広げられた。二つの戦いで、日本側は合わせて6機が撃墜され、20代の飛行兵6人が尊い命を落とした。
本展は、「若人の夢と祈り」と題し、本土防衛のために米軍機を迎え撃った若き飛行兵たちにスポットを当てた。墜落現場から見つかった機体部品をはじめ、地域の有志や戦友らによる慰霊活動を紹介している。
記念館によると、涸沼上空の空中戦は、襲来した米軍機「P51」99機に対して、百里基地からゼロ戦45機が出撃。激しい攻防の末、日本側は新本(にいもと)克己さん(広島県)、鈴木光男さん(兵庫県)、浜口茂さん(大阪府)、榎本修三さん(和歌山県)の4人の飛行兵が犠牲となった。
新本さんと鈴木さん、榎本さん3人の機体は現在の茨城町に、浜口さんの機体は現在のつくば市に墜落。新本さんの空中戦の目撃談は「胴体には無数の銃弾の跡があった…片腕は30メートルくらい離れた隣の畑にあった」などと記され、悲惨な実態を伝えている。
筑波山上空の空中戦では、筑波海軍航空隊友部基地(笠間市)から紫電で飛び立った谷口澄夫さん(三重県)と、香取基地(千葉県)から同じく紫電で出撃した桑原安夫さん(同)の2人が死亡。谷口さんの機体は現在の筑西市鍋山地区の水田に、桑原さんの機体は筑波山腹の国有林に墜落した。
展示では、谷口さんの空中戦を目撃した地域住民の証言を映像やパネルで紹介。桑原さんの紫電に装着されていた円筒形の追加燃料タンク「増槽」も陳列されている。長距離作戦を遂行するため、翼下や機体下に取り付けられるもので、被弾による爆発の防止のため、落下させてから戦闘を行った。本展の「増槽」は、長さ221センチ、最大直径約46センチ。墜落地付近で遺体捜索に携わった地域住民により、現在まで保管されていた。
担当の学芸員、西山咲耶(さや)さん(25)は「戦争の悲惨な現実が身近にあったことを知ってほしい。平和な未来に向けて、現代に生きる私たちが果たす役割を考える機会となれば」と話した。
3月26日まで。火曜休館。同記念館(電)0296(73)5777。