茨城・笠間日動美術館開館50周年 国内外の名画充実 アートで地域貢献

茨城新聞
2022年12月5日

西洋や日本の近代洋画を数多く所蔵する笠間日動美術館(茨城県笠間市)が11月、開館50周年を迎えた。昭和初期から活動を始めた日動画廊(東京銀座)の創設者、長谷川仁・林子夫妻が私財を投じ、故郷に建設。後を継ぐ長谷川徳七同館長(83)の目利きや、作家との交流を通したコレクションは約3100点に上り、地方で名作に出合える施設として親しまれる。

■洋画商の草分け

長谷川仁氏が東京で洋画商を始めたのは1928年。3年後、銀座に画廊を構えると、当時パリで絶賛されていた画家、藤田嗣治の展覧会を開き、成功を収めた。戦後いち早く画廊を再開。買い付けと同時に各地で展覧会を催し、洋画商の草分けとして芸術の振興に努めた。

72年、先祖代々の墓がある笠間市笠間に同美術館を創設。全国的にも美術館が珍しかった当時、「画家が絵を描き寄贈してくれたパレットが160点ほどに増え、その展示場所と考えていたようだ」(徳七氏)と振り返る。

■転機のピカソ展

77年、徳七氏が2代目館長に就任。78年に開いた「ピカソ展」が転機になった。妻で副館長の智恵子氏と、紹介状を手にモスクワを訪問。プーシキン、エルミタージュ両美術館と直接交渉し、ピカソ作品計8点の借用に成功した。

「ソ連(当時)から直接美術作品を借りるなど前代未聞」(徳七氏)。話題を集め、会期中の入館者は10日間で約3万人を突破。同館を囲むように人が押し寄せた。

「田舎の小美術館でも、企画さえ面白ければ人が集まる」。その後はフランス近代絵画展、ユトリロ、シャガール、マティス、セザンヌと次々に企画展を開催。81年に野外彫刻庭園、85年に新館(現パレット館)、89年に企画展示館、97年にフランス館を整備し、施設も充実させた。

■幅広い所蔵品

同館によると、現在の所蔵品はモネやルノアールに代表される印象派から、エコール・ド・パリまでの西洋絵画、日本の近代洋画、アメリカ現代美術、自画像、パレット作品、北大路魯山人の陶磁器、彫刻など幅広い。

ゴッホやピカソといった海外の巨匠から藤田嗣治、岸田劉生、藤島武二、高橋由一など国内有数の画家まで。買い付けをしてきた徳七氏は、「美術館はコレクションあってこそ。私一人の好みや感覚で選んできたことが、ぶれずに良い結果になった」と分析する。

2011年7月、公益財団法人に認可された。今後も、県内で良質な美術品に触れる機会を提供していくという。「自分たちの美術館だという気持ちで足を運び、親しんでほしい」と話す。

■長谷川徳七館長に聞く 「美術館は茨城の財産」

名画との出合いなどについて語る長谷川徳七館長=東京都内

 

-半世紀を振り返って。

「価格が高騰したバブル期は、所有者が売りに出し買い付けが盛んだった。近年、名画が市場に出回ること自体が少ない。画商として良い時代を過ごさせてもらった」

-名品を選ぶポイント。

「まず自分で買ってみる。失敗もあるが、自分の責任で真剣に選ぶことが結果的に目を養う。名品を見抜く感覚や好みは自然に備わるもので、本物は何かが分かるようになる」

-画商の役割。

「良い絵を買い付け、お客さまにつなぐ。海外では欲しい絵をイメージしながら美術館でじっくり鑑賞し、それから市場に出る。作家と酒を飲んだり、夫婦で交流を持つなど、信頼関係を築くことも欠かせない」

-思い出に残る作品。

「ルソーの『熱帯』、ゴッホの『ドービニーの庭』、ピカソの『女の半身像』など。ひろしま美術館、ポーラ美術館など、国内の美術館の収蔵に関わることができ、満足している」

-今後について。

「作品それぞれに愛着があり、地方で名品に触れる機会を提供できることに喜びを感じる。茨城の財産として美術館が県民の皆さんに親しまれることを願う」