笠間藩主・牧野貞喜没後200年展 笠間公民館、18日まで

茨城新聞
2022年12月3日

 ■藩政改革の名君に光 甲冑や自筆和歌 一堂に

江戸後期に笠間藩主として藩政改革に尽力した牧野貞喜(さだはる)の没後200年を記念した特別展(茨城県笠間市教委主催)が、同市石井の笠間公民館で開かれている。農村復興や人材育成など携わった改革事業に関する文書をはじめ、牧野家ゆかりの甲冑(かっちゅう)や頭部像などを一堂に展示。自筆の和歌や句碑拓本なども並べられ、文学や芸術にも才能を発揮した名君の人となりを伝えている。12月18日まで。

牧野貞喜は1758(宝暦8)年、幕府老中職を務めた牧野氏笠間藩2代藩主・貞長の長男として、江戸の上屋敷に生まれた。3代藩主に就いた頃、藩は財政面で危機的状況にあり、貞喜は飢饉(ききん)で荒廃した農村を立て直すため、北陸地方の農民を藩内の村に住まわせる「入百姓(いりびゃくしょう)」を推し進めた。人材育成では、藩学者の家塾を藩校「時習館」とし、藩士の子弟を教育した。

入百姓に関する史料では、政策に協力した西念寺(同市稲田)が所蔵する貞喜頭部像や自筆の書などを展示。時習館では、松平定信親筆の館名額や間取り図などを並べる。

和歌や誹諧、生け花などを好んだ貞喜の姿も伝えている。貞喜の句を基に笠間藩最後の藩主、牧野貞寧(さだやす)により建立された句碑拓本も紹介。貞喜は句で、「ふりむくは 啼(な)く子の親か 田植え笠」と、田植えの最中にあぜ道の幼子を思いやる母親の姿を描写、領民への温かいまなざしをうかがうことができる。

市史研究員の南秀利さん(85)は「藩政改革に挑んだ貞喜には並々ならぬ苦悩があり、芸術や趣味は大きな癒やしになったはず。名君の内面を感じていただければ」と話している。

市生涯学習課(電)0296(77)1101。