弥生後期の集落跡発見 水戸・見川塚畑遺跡 竪穴建物跡や土器

茨城新聞
2016年6月30日

茨城県教育財団は29日、水戸市見川の見川塚畑遺跡の発掘調査で、弥生時代後期後半(3~4世紀頃)の集落跡の一部を新たに発見したと発表した。炉などが残る竪穴建物跡27棟や土坑75基などの遺構と、土師(はじ)器や石器、県北部特有の土器などの遺物を発見。同財団は「水戸地区で弥生時代の竪穴建物跡が20棟以上まとまって確認されたこと、後の時代に土地が継続して利用されていないことは珍しい」と話す。同地区の生活の様子やどういった場所を選んでいたかを知る貴重な手掛かりとなる。

遺跡は同市中央部、桜川左岸の標高24~27メートルの台地上に位置。江戸時代以前、眼下には千波湖の前身となる沼や桜川沿いに低湿地があったと考えられている。調査は、8千平方メートルを対象に今年1月から7月末まで実施している。

同財団によると、竪穴建物跡27棟は弥生時代特有の隅丸長方形を主としており、同地区で確認された中で最も多い。集落は3世代ほど50~100年の間に営まれたものとみられる。出土した土器は、久慈川と那珂川流域を中心に発見されている十王台式土器。文様に特徴があり、上部はくしで縦に描かれた文様、胴部は縄文様が施されている。

また、糸を紡ぐ道具の一部である土製の紡錘(ぼうすい)車や、底面に布の模様が残る土器が出土したことから、集落で布作りが行われていたことを示す。

今後、同地区東部の遺跡と比較することで同地区の弥生時代の人々の生活や集落の様子がさらに分かるとしている。

一般向け説明会は7月3日午前10時から、同遺跡で開催。荒天の場合は中止。問い合わせは同財団水戸事務所(電)029(224)5543

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