徳川光圀整備の水戸・笠原水道 水源地に岩樋を再現
水戸藩2代藩主の徳川光圀が整備した笠原水道の在りし日の姿を伝えようと、水道管に当たる「岩樋(いわひ)」の模型が、水戸市笠原町の水源地付近に設置された。市民の要望を受けた市が、史料や出土品を参考に当時と同じ材質の石材を構えて再現し、パイプ管から水が流れたままの状態を改善した。水源地から湧く「水戸の水」の魅力向上につながる存在として、関係者は「立派な岩樋の姿を通じ、子どもたちに水の歴史を伝えたい」と発信したい考えだ。
市などによると、笠原水道は1663年、光圀が下市(同市本町)周辺の飲用水確保のために敷設した。全長約10キロで、1938年に県史跡に指定された。湧水は現在も住民に親しまれ、水源地近くにある竜の頭をあしらった水栓「竜頭栓」では、市民らが連日水をくみに訪れている。
水道は当時、平らに切り出した岩で製作した岩樋を地中に埋設して水を流していた。岩樋は現在の千波湖北岸の石切場から切り出し、「神崎石」と呼ばれた石材で作られた。岩樋の実物は、千波町の逆川緑地や田野町の楮川浄水場に展示されている。
設置された模型は台形で、縦53センチ、横60センチ、奥行き43~77・5センチ、岩の厚さ13センチ。今年3月、昔と同じ材質の岩で組み上げた。水の飲用はできない。模型完成前は、むき出しの塩化ビニール製のパイプ管から水を流していたという。
歴史的な存在として紹介するため、地下水や地質を調査してきた同市の西原昇治さん(73)が15年以上にわたり、外観の改善を要望していた。その思いが実り、湧水は岩で組まれた水道から流れる姿に生まれ変わり、同水道の歴史について説明する解説板も設けられた。
西原さんは4月上旬、地元住民や郷土歴史の愛好家らを集めて現地説明会を実施。模型の紹介をはじめ、1分間に約500リットルの水が絶えず流れる同水道について解説。「先人たちの知恵を守り伝えていくことが大切」と訴え、参加者と模型の完成を喜んだ。
模型は今後、時を経てコケが覆い、趣ある姿に変わっていくことが期待されるという。
説明会に参加した同市酒門町の吉冨耕治さん(56)は「光圀の功績がこうした所で残されるのはとても意義あること」と話し、江戸時代の情景に思いをはせた。