大金燈籠を復元 常陸太田・若宮八幡宮 震災で損壊、10年ぶり

茨城新聞
2021年2月18日

常陸太田市宮本町の若宮八幡宮(和田忠彦宮司)で、2011年3月に発生した東日本大震災によって損壊した鋳物製の「大金燈籠(とうろう)」が復元された。1888(明治21)年に製作されたもので、大きな揺れで上部が落下し倒れ、八角台石が破損した。複雑で高度な技術が必要なことから約3年をかけ、地域住民らの協力もあって震災から10年の節目に再建できた。

大震災で、同八幡宮の拝殿は大きな被害を免れたものの、鳥居の笠木などが落下し、こま犬が土台から崩れた。大部分の石玉垣や多くの石碑、歌碑などが倒れ、石灯籠も崩れたという。

同八幡宮の境内には数多くの金灯籠や金天水桶(おけ)などが奉納されていたが、戦争で供出され、唯一残されていたのが今回復元された県内屈指の大金燈籠だった。高さ約4・2メートル、幅約1・7メートルで、大震災前までは参道入り口に設置されていたが、復元に際して安全な場所として境内に移設した。

復元作業は破損部分を銅で接着し、130年前の姿にほぼ戻した。大きな揺れにも耐えられるように、大金燈籠の中のステンレスの柱(心棒)を最上部分まで通すなど補強。台石は損壊したため新しく造り直した。

和田宮司は「大震災では市民も大きな痛手を負った中で修理、復元に協力していただいた。信心の強さを感じたし、まちの歴史や鋳物の歴史を後世に伝えていければ」と話した。

同八幡宮などによると、常陸太田市は江戸時代から鋳物の一大生産地。技術的にも優れ、1964年の東京オリンピックの聖火台(国立競技場)を製作した鋳物の街・川口(埼玉県)の職人が、修業に来て腕を磨いたという。大金燈籠は鋳物のまちの歴史を伝えるものとしても貴重。

同八幡宮は佐竹源氏の氏神。佐竹氏13代義仁が1394(応永元)年に、鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を舞鶴(太田)城中にまつるようになったのが始まりという。

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