《真田のふるさとを訪ねる》名胡桃城址(みなかみ町下津) 天下統一の動き生む

上毛新聞
2016年4月20日

ㅤ名胡桃(なくるみ)城は豊臣秀吉の小田原攻めのきっかけとなった城。百年余り続いた戦国時代から天下統一へと向かう世の動きは、名胡桃城から始まった。みなかみ町は昨年、発掘調査の成果を基に土塁を築き、郭(くるわ)をつなぐ橋などを整備。国道17号沿いの案内所にはボランティア・ガイドが常駐し、城の歴史を紹介する約7分の映像を上映している。
ㅤ名胡桃城址案内所(0278・62・0793)は毎日9時から17時まで利用できる。ただし、ボランティア・ガイドによる案内は10時から16時まで。案内所には自由に持ち帰れるパンフレットが豊富にそろい、お茶のサービスも受けられる。
ㅤ町は1586(天正14)年ごろの構造を復元しようと、門や橋を再現。見学者のための通路や説明板も充実させた。大河ドラマ効果で平日でも多くの見学者が訪れている。
ㅤ名胡桃城は79(天正7)年、武田勝頼が真田昌幸に命じ、北条氏が支配していた沼田城を攻める前線基地として築いた。昌幸は翌年、名胡桃城を拠点に、利根川の対岸にあった明徳寺城を攻略。さらに調略により沼田城を手に入れた。
ㅤ真田氏と北条氏は、その後も争いを続けた。そのため豊臣秀吉は89(天正17)年、沼田城を含む利根川の東側を北条氏、名胡桃城を含む西側を真田氏の領地とする裁定を下した。しかし、これを不服とした北条方の沼田城代、猪俣邦憲は名胡桃城を攻め、不法に占拠した。激怒した秀吉は、小田原の北条氏に宣戦を布告。翌年、大軍を率いて北条氏を滅ぼし、事実上の天下統一を果たした。
ㅤ名胡桃城は突き出た段丘上に築かれ、直線的に配置された郭を土橋や木橋で結んでいた。北端のささ郭に立つと、利根川対岸の明徳寺城があった辺りを一望できる。明徳寺城址にも案内板が設置されている。
ㅤ名胡桃城址保存会は1924(大正13)年、本郭中央に徳富蘇峰の揮毫(きごう)による高さ3・1メートルの石碑を建立した。

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