正殿幅15メートル、解明進む 古代鹿島郡役所跡 30年ぶり建物調査

茨城新聞
2016年2月12日

鹿嶋市教委は、国内最大規模の国指定史跡で古代鹿島郡の郡役所跡である「鹿島神宮境内附(つけたり)郡家(ぐうけ)跡」(神野向(かのむかい)遺跡)の建物の調査を約30年ぶりに実施、郡庁域内にある正殿の幅などを確認した。これにより規模の詳細が徐々に明らかになり、古代における鹿島郡行政機関の研究がまた一歩前進した。これに合わせ、現地説明会が11日、鹿嶋市宮中荒原の史跡内で開かれた。

調査対象は、掘立柱建物である正殿、前殿跡を含む536平方メートルの郡庁域で、鹿島神宮から南へ約1・5キロの鹿島台地の神野向支丘に位置している。1988年まで行われた前回調査などで、おおよその規模や郡庁が3回建て替えられたことなどが確認されている。

今回の調査では、正殿と前殿の東西の幅が15・7メートルあったことや3回の建て替え時の柱同士の距離の詳細などが分かった。また、正殿跡内に10世紀のものと思われる竪穴住居跡を発掘。この結果、郡庁が存在していたのは、10世紀以前の時期と裏付けられた。

この日は市内外から約150人が集まり、史跡を見学した。

鹿島郡家は奈良-平安時代に常陸国が置いた郡役所の一つ。現在の鉾田、鹿嶋、神栖三市と大洗町の一部などを治めていた。正倉院なども存在していたとされ、敷地面積約7万3600平方メートルが国指定を受けている。

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