小平浪平生誕150年展 日立製作所、創業の精神紹介 図面や日記公開 茨城・日立のオリジンパーク

茨城新聞
2024年1月19日

日立製作所の創業者、小平浪平(1874~1951年)の生誕150周年を迎え、茨城県日立市大みか町の日立オリジンパークで、同館初の企画展「『正直者』小平浪平を探る」が開かれている。小平が遺した言葉からその人物像に迫り、外国技術に頼らず工業を興すことを志した小平の原点や、技術者・経営者としての信念を伝える展示約40点が並ぶ。

小平は栃木県出身。1906年に日立鉱山に入社し、電気機械の修理を担う工作課を指揮。「やせて枯れても自分で作りたい」と国産技術にこだわり、10年に自分たちの手で5馬力モーターを完成させ、日立製作所を創業した。

企画展は小平生誕150周年記念プロジェクトの一環。創業の精神に立ち返り、将来の社会解題の解決につなげようと同社が企画した。「原点」と「創業社長」「趣味」の三つのテーマに分けて展示物を公開している。

「正直者」とは、小平に「正直なれ、努力せよ」と伝えた母の教えに由来。小平はこの言葉を生涯大切にしたといい、戦後の47年に公職追放で会社を離れる際に書いた直筆の書も展示している。

東京帝国大在学中に書いた精密な変圧器の図面も初公開。生涯書き続けた日記の一部もあり、大学の専攻に悩んでいた1894年5月12日のページには、当時の家庭教師から電気工業の必要性や将来性を助言された記述がある。

創業間もない1912年のカタログも並び、すでに拡販に注力して日立マークを商標登録するなど、優れたマネジメント能力を発揮していた一面も紹介。「以和為貴(わをもってとうとしとなす)」と染め抜いて従業員に配った手拭いもあり、同社の創業の精神を伝えている。

ほかに家族写真や少年時代に使っていた文机、晩年愛用していたまき割り用のまさかり、自らが描いた水墨画なども展示。ガイドの沼田祐美さんは小平の人物像について「几帳面で謙虚で、丁寧な性格だった」と話す。

年譜やゆかりの地を紹介するパネルもある。大金勤館長は「激動の時代の今こそ、一人でも多くの方に、社会に貢献する日立と小平の人物像に触れてもらえれば」と来場を呼びかけている。会期は夏ごろまでを予定している。