《井伊氏と高崎安中(9)》北野寺 「出世薬師」の異名
井伊直政の息子で、後に彦根藩主となった直孝は安中市下後閑の北野寺で育ち、1614年の大坂冬の陣で井伊家の大将を任された。
嫡男の直勝と同年の1590年に生まれたとされる直孝は、生母の実家や親戚宅などで数年過ごしていた。生母は正室唐梅院の侍女で、遠慮があったという説がある。直政は後閑村の萩原図書を直孝の教育役に任じ、北野寺で養育させた。
直孝は地元の子どもたちを集めて合戦ごっこに明け暮れる活発な少年で、10歳で盗賊を退治したという伝説も残る。
北野寺敷地内で住居とした薬師堂近くには、立身出世を祈願して杉とヒノキが植えられた。後に30万石の大名まで上り詰めた成功にあやかり「出世薬師」の異名で知られた。
1602年に直政が亡くなると徳川秀忠の近習に取り立てられ、白井藩(渋川市)1万石を与えられた。戦向きの性格を家康に評価され、15年の彦根藩主就任も後押しされた。秀忠からは家光の後見役に選ばれ、家光の代で30万石に加増されるなど歴代将軍の信頼が厚かった。
北野寺第38代住職の井口妙祥さん(57)=安中市下後閑=は「彦根にも北野寺(現北野神社)を設けるなど、この地で過ごした日々を忘れなかった。民衆の中で育ち、愛される人柄だったことが地元の伝承からも伝わってくる」と話す。
彦根藩井伊家と後閑の北野寺は長年交流が続き、住職が交代すると井伊家の江戸屋敷へあいさつに出向くのが慣例だった。幕末に大老を務めた井伊直弼の手紙などもあり、市指定重要文化財「北野寺所蔵文書」としてまとめられている。
【写真】彦根藩主直孝が育った北野寺
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