世界に誇る観光名所が誕生するまで 栃木・足利「あしかがフラワーパーク」の波乱万丈の歴史

下野新聞
2023年12月22日

栃木県を代表するイルミネーションの名所として真っ先に名前が挙がるのが、足利市迫間町の「あしかがフラワーパーク」。テレビ番組やSNSなどで紹介されることも多いが、地方の植物園がいかにして現在の地位を築いたのかは、意外と知られていない。そこに至るまでの波乱万丈の歴史とは。

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米国のテレビ局・CNNの「世界の夢の旅行先10カ所」に国内で唯一選ばれ、日本を代表する観光名所となった「あしかがフラワーパーク」。だが、その歩みは決して順風満帆ではなかった。

1920年代、大地主の故早川和俊さんが足利市朝倉町の庭にフジを植えたのが始まり。68年には「早川農園」として開園した。周辺の再開発計画が持ち上がり、91年ごろから移転を模索することになった。

最大のネックは、幹の直径が1メートルを超える大フジの移植だった。前例はなかったが、女性初の樹木医塚本こなみさんが先進的な移植法を編み出し、96年に着手した。

大型トレーラーに積み込むため、つり上げられた大フジ=1996年2月(あしかがフラワーパーク提供)

骨折の治療で使うギプスをヒントに、幹を石こうで固定。陸送可能な大きさに詰めたフジを大型トレーラーに乗せ、約20キロの距離を移送した。

地元造園業者ら延べ2000人が関わったプロジェクト。和俊さんは最初の花が咲いたのを見届け、その年に永逝した。

だが、苦難は移転後も続く。パーク整備に膨大な投資をしたが、フジの開花時季以外は開店休業状態。和俊さんの孫で現社長の早川公一郎さん(42)は「最初の10年は倒産前夜が何度もあった。社員など多くの人に助けられ、存続できた」と振り返る。

閑散期に始めたイルミネーションも評判を呼び、現在の地位にまで成長した。

これらの経験を踏まえ、公一郎さんは「私たちには、良い花を咲かし続け、期待に応える使命がある。プレッシャーはあるが、樹木を後世に守り伝えたい」との決意を明かした。

(下野新聞の栃木県誕生150年企画「わがまちの変遷」9月14日付より)

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