河岸のにぎわい看板に 地域住民計画 明治期の銅版画使い制作 茨城・筑西のJR水戸線川島駅前

茨城新聞
2023年11月24日

茨城県筑西市川島地区にかつて存在した鬼怒川の船着き場「川島河岸(かし)」を紹介する看板が、JR水戸線の川島駅前に完成した。1892(明治25)年発行の「大日本博覧図」にある銅版画を使い、舟や荷馬車、蒸気機関車が行き交う当時のにぎわいを伝える。地域住民でつくる川島河岸銅版画プロジェクトの荻野忠夫代表(71)は「経済発展に寄与した河岸が川島にあったことを知ってもらいたい」と話している。

看板は高さ1.45メートル、幅1.65メートルで、市合併振興基金活用事業補助金を活用した。版画の題名は「川島東京間早船貨物運漕 各地鐵道川船貨物積替運漕所」。舟の荷積みや荷物の保管を手がけた河岸問屋「川島運漕店」のほか、89(明治22)年に開通した水戸鉄道伊佐山駅(現在の川島駅)、鬼怒川などを空から見下ろすように描いている。

同店は帳場や舟の荷積み場に加え、竿秤(さおばかり)と呼ばれる道具を担ぐ人、荷馬車が精密に描かれている。水戸鉄道から店近くまで引き込み線が敷かれ、トロッコに積み替えられた貨物が舟の荷積み場まで運ばれる様子が確認できる。鬼怒川には、浅瀬や急流に適した「小鵜飼(うかい)船」とみられる小型の舟が浮かんでいる。

江戸時代の鬼怒川は、東北地方の諸藩と江戸を結ぶ河川交通の要所として栄え、46カ所の河岸が整備された。看板には当時の輸送ルートとして、「大廻(まわ)し」と「境通り陸付路(りくつけろ)」の地図が添えられている。

米などの重量物に用いられた大廻しは、東北地方から鬼怒川上流の氏家(栃木県さくら市)に集まった荷物を阿久津河岸(同)で小鵜飼船に載せ、中流部の久保田河岸(結城市)で大型の高瀬舟に載せ替えたという。一方、境通り陸付路は、急を要する物資や高価な品を運ぶ手段として、久保田河岸で陸揚げした後、陸路で境河岸(境町)に移し、再び舟で運ぶことで輸送日数を短縮したとする。

10月29日に看板の除幕式があり、川島祭りばやし保存会のおはやしや、下館西中管弦楽部のファンファーレで完成を祝った。近くの市役所川島出張所では、川島河岸への理解を深めるシンポジウムも開かれた。

明治時代に川島運漕店を経営した池羽雄吾氏のひ孫、啓次さん(74)は「川島河岸は江戸初期から明治末期まで250年ほど存続したものと思われる。こうした先祖の活動の記録を立派な看板にしてもらい、先祖もきっと喜んでいる」と説明。「若い方々が鬼怒川の歴史や環境に興味を持つきっかけとなれば、これに勝る喜びはない」と話した。