茨城・龍ケ崎市歴史民俗資料館 消防組織の歩みたどる 江戸-昭和期 はんてんやポンプ40点

茨城新聞
2023年2月5日

龍ケ崎にも「いろは組」があった-。茨城県龍ケ崎市歴史民俗資料館で収蔵品展「むかしの消防」が開かれている。江戸-昭和時代にかけて用いられたはんてん、手押しポンプを含む計40点を紹介する。展示品を通し、江戸時代の火消(ひけし)から始まり「消防組」「警防団」を経て、戦後に確立した消防団に至るまで、消防組織の移り変わりをたどれる。

同館の説明などによると、龍ケ崎では17世紀後半、住民主体の火消集団が形成されていた。1845(弘化2)年には「いろはにほへとちり」の9組が編成。1720(享保5)年に江戸でできた町火消「いろは四十七組」(のち四十八組)に倣ったとみられる。

明治時代に入ると、町村制により龍ケ崎町が設置。10組に増えていた「いろは-」は「龍ケ崎町消防組」に転じた。「い」「ろ」と分けられた各組の名前も「一部」「二部」に改められた。第2次世界大戦中には防空も担った「警防団」に移行し、1948年に町消防団に改称。54年に町村合併と市制施行があり、市消防団が発足した。

かつて消火作業で着用されていた刺し子のはんてんや頭巾を説明とともに展示。い組の手押しポンプ「龍吐水(りゅうどすい)」、水鉄砲、かぎが付いた棒状の道具「とび口」もある。水道などが未整備だった頃には「破壊消火」と呼ばれる手法が一般的で、こうした器具で人に水をかけて焼けないようにした上で、建物を倒して延焼を防いでいたという。

このほか火消の弁当箱に加え、打ち鳴らして火事を知らせる半鐘、町消防団の旗、警防団のはんてんも置く。火消に関する記述がある1832(天保3)年の古文書も初公開している。

同館担当者は「消防は長きにわたり有志が担ってきた。その活躍を知ってほしい。今の消火法との違いも分かってもらえれば」と期待を込めた。

収蔵品展は26日まで。同館は月曜休み。開館時間は午前9時~午後5時。入館無料。

★消防団の成り立ち
8代将軍徳川吉宗の時代に江戸で誕生した自治的な「町火消」に起源が求められる。明治維新を経て東京では町火消が「消防組」に改められた。各地の消防組織は名称などにばらつきがあったが、1894年の勅令で統一的な消防組の設置が進んだ。1939年の勅令で消防組は民間防空組織と統合されて「警防団」に。戦後間もなく勅令や消防組織法により消防団として再出発した。