初の前橋四公祭 大名墓群 観光資源に 国史跡指定 求める
歴史と文化を活用したブランド力向上や観光振興に取り組む前橋市で、江戸時代に現在の市域を治めた4大名家の遺産に光を当てる試みが始まった。今月20日、市は4大名家を顕彰する「前橋四公(しこう)祭」を初めて開催。大名家墓所の価値や保存活用の可能性を考えるとともに、国史跡指定を求める声が相次いだ。
4大名家は前橋藩主の酒井雅楽頭(うたのかみ)家と松平大和守家、総社藩主の秋元越中守家、大胡藩主の牧野駿河守家。いずれも市内に墓や菩提(ぼだい)寺があり、一部は市指定の文化財になっている。
◎「江戸」保つ場
四公祭では大名の墓を研究する中井均・滋賀県立大教授が「近世大名墓と歴史観光」をテーマに講演した。中井教授は城下町などの痕跡は薄れていくが、大名家墓所は江戸時代の空間を唯一保つ場所であることを説明。「藩主の時代を学び、地域の歴史をより深く知ることができる」として、保存や説明板の充実の必要性を訴えた。
ただ代々の藩主の墓が並ぶ墓地の管理は子孫への負担が大きい。個人の墓であるため公費を投入できず、全国的には荒廃が進む墓もある。中井教授によれば、明治維新後に旧大名家の大半が神道となり、仏式の墓が顧みられなくなったことも背景にあるという。
◎珍しい集積
整備費用確保には、市町村単位より補助が手厚い国の文化財指定を目指すことも一つの方法だ。中井教授は前橋から姫路に転封したものの初代から15代までの歴代藩主の墓を龍海院(同市紅雲町)に造営し続けた酒井家、総社藩を治めたのは32年間にすぎないのに初代から11代までの墓が光巌寺(同市総社町総社)に隣接する宝塔山古墳にそろう秋元家に着目。徳川家康から与えられた最初の領国への意識があるとみられ、これほどの墓が集積するのは全国的に珍しく、「前橋の大名墓群も調査が進み、国史跡になれば保存活用の可能性が広がる」と指摘する。
◎維持に難しさ
4大名家のうち、子孫が前橋市内で暮らすのは松平家のみで、3家の当主は県外在住。子孫に負担を求めることができず、墓は各寺が管理している。
秋元家初代藩主の父親である景朝と正室の墓がある元景寺(同市総社町植野)は、本年度、墓の一部を修復した。市史跡のため市の補助金は活用できたが、残る費用は寺の負担。大瀧昭雄住職は「財政を考えると寺だけで維持していくのは難しい」と明かす。
龍海院は、市史跡の指定第1号である酒井家の墓所を守ってきたが、近年は一部の墓石が傾いてしまっている。過外章道住職は「地震のたびに不安になる。国の支援を得られるならありがたい」と期待する。
◎郷土学ぶ物語
江戸時代の大名の墓で国史跡となっているのは、水戸徳川家墓所(茨城県)や加賀藩主前田家墓所(石川県)など21件。今月18日には国文化審議会が「高島藩主諏訪家墓所」(長野県茅野市、諏訪市)を国史跡に指定するよう文部科学相に答申、近く新指定となる見通しだ。諏訪市教委は「地元保存会が協力してくれているが、国指定となれば保護しやすくなる。知名度も上がるため観光資源にできれば」と説明する。
前橋市では、ゆかりの大名家の墓と菩提寺などの関連施設を含めた史跡指定が検討されている。市文化スポーツ観光部参事の手島仁さんは「藩が移っても墓を造り続けた酒井家と秋元家からは前橋への愛着を感じ、郷土を学ぶ物語になる。国史跡指定を目指し、前橋のブランド力のさらなる向上につなげたい」と話す。
【写真】龍海院には前橋、姫路の藩主を務めた初代から15代までの酒井家歴代の墓がある
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