《真田の城 今昔》沼田(下) 高まる再建の機運 

上毛新聞
2016年9月7日

ㅤ真田氏時代に築かれた沼田城は、関東では江戸城以外で唯一、5層の天守を持っていたと言われている。その壮大な姿を現代によみがえらせようという動きは幾度となく起きたが、いまだ実現に至っていない。NHK大河ドラマ「真田丸」によって人々の注目が集まる今、再建への熱が再び高まっている。

▼条例制定し資金
ㅤ沼田城主となった真田信之が1597年に完成させたとされる天守。江戸幕府が1644~48年ごろ、全国の大名に城の建物や石垣などの配置、規模を記して提出させた「正保城絵図」に当時の沼田城の姿が残っている。
絵図には石垣の上に建つ天守が描かれている。1層目は石垣の塀に隠れて確認できないものの、屋根の破風部分が見えており、5層だったことの根拠とされる。
ㅤ真田氏5代目城主の信利の改易によって城が取り壊されて以降、この地に天守が再びそびえることはなかったが、戦後になると市民の間で城のシンボル復活を望む声が大きくなっていった。
1954年の沼田市誕生当初、城の建設資金を積み立てる条例が作られ、56年には城の再建を設立目的の一つとする市観光協会が発足する。しかし、盛り上がりは長くは続かなかった。
ㅤ平成になり、再建話が再浮上する。市は92年、歴史的遺産を保存、活用して観光価値を高めようと、城全体の復元を軸とする沼田公園長期整備構想をまとめた。2007年には商工業者らによって「沼田城建設推進の会」が設立される。だが、天守の建設だけでも25~30億円かかるとされる費用の膨大さなどから、具体的な進展はなかった。

▼親子2代の悲願
ㅤ今年6月末、休眠状態だった同会は「天空の城下町 沼田城を造る会」と名を改め、新たにスタートを切った。会長に就いた大島崇行市議は「5層の天守は沼田だけでなく群馬のシンボルとなる観光資源。再建の話は60年前から続いてきたが、これほどまで機運が高まったことはない」と強調する。
ㅤ同会はホームページ作成や建設に向けた寄付金募集、会員拡大などに取り組む。10月に沼田公園で開かれる市のイベントでは、活動のPRブースを設け、城の歴史についての講演会を行う。
ㅤ同会副会長の一人、平井良明市観光協会長と大島会長の父親はともに約60年前、観光協会設立時に理事として名を連ねている。「親子2代にわたる悲願」(平井副会長)の達成へ、歩みを進める。
ㅤ一方、市は本年度、同構想に基づく調査の一環で、初めて天守跡の発掘を行った。市教委の担当者は「正保城絵図の通りに堀や石垣があったのかを検証し、天守の位置を確かめるのが目的」と説明する。

 

【写真】沼田公園に立つ信之・小松姫像。天守は像の背後にあたる場所にあったとされる

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