《いばらき御朱印めぐり》茨城・桜川 小山寺 流麗字体で本尊表現
■巨木が囲む静粛な空間
古くから「富谷(とみや)観音」の名で親しまれてきた。天台宗・施無畏山(せむいざん)小山寺(おやまじ)が正式名称。子授けや厄除けなど祈願の寺として、信仰を集めている。富谷山の中腹にあり、富谷山ふれあい公園内を走るつづら折りの林道を上る。杉やヒノキ、スダジイの巨木に囲まれ、静粛な霊域の雰囲気が漂う。本堂前から筑波山や里の景色を望む。秋は紅葉、春は桜も見応えがある。
室町時代に造られた三重塔は国指定重要文化財。境内にある建物や仏像、巨木の計9件が国県市の文化財に指定されている。本尊で秘仏の十一面観音菩薩(ぼさつ)座像は平安時代の作で県指定。その脇侍(わきじ)の不動明王像(平安時代)、毘沙門天(びしゃもんてん)像(鎌倉時代)や、江戸時代建立の本堂、仁王門、鐘楼も県指定。樹齢700年の大杉が市指定の天然記念物だ。
創建は735(天平7)年に、聖武天皇の勅願により行基が開いたとされている。
御朱印は、本尊の「十一面観音」を文字として中央に配置する。流麗な字体を見ていると、目の文字が浮かび上がり、観音様に見つめられているような気分になる。
本尊は高さ2・1メートルの座像。ご開帳は62年に1度で、次回は創建1300年に当たる2035年を予定している。丹治(たんじ)純孝(じゅんこう)住職によると「62年間隔を正確に刻んできたのかどうか不明だが、前回のご開帳は三重塔を解体修復した1991(平成3)年、その前には昭和40年代に一般公開した記録がある」という。
本尊の前の扉は、東日本大震災でも、ずっと閉められたままだ。「本尊が果たしてどうなっているかは、ご開帳を迎えなければ真実は分からない」(丹治住職)と、ちょっと不安もあるようだ。
廃仏毀釈(きしゃく)で明治時代には雨漏りがするほど荒れた。しかし、岡倉天心と下村観山、木村武山らが10(明治43)年5月、小山寺などを調査し、その模様を当時、本紙いはらき新聞が報じている。これを機に保存に向け寄付金が集められた。
令和に入っても、保存は大きな課題だ。三重塔の屋根の傷みが激しいことから今年初め、クラウドファンディング(CF)で善意を募ったところ、200万円の予定額を上回る善意が集まった。「皆さんの支援で予定額をクリアできた。広島県や京都府、ドイツ在住の方もいた」と感謝の気持ちを見せる。(第1土曜日掲載)
■メモ
アクセス…北関東自動車道桜川筑西ICから車で10分。JR水戸線岩瀬駅からタクシーで10分。富谷山に上がっていく場合、南からの道(旧道)は幅が狭いため、西から富谷山ふれあい公園を縫う道(新道)の方が通行しやすい。
住所…茨城県桜川市富谷2186
電話…0296(75)4440
受付時間…午前9時~午後4時
御朱印…中央に本尊の「十一面観音」の文字を配置。300円。住職不在時にも書き置きが購入できる。