那珂下大賀遺跡 中世の道路跡確認 土師器や緡銭も出土

茨城新聞
2017年8月31日

県教育財団は30日、那珂市下大賀の下大賀遺跡発掘調査で、鎌倉時代(13世紀)から江戸時代(17世紀)の中世に使われた道路跡などを確認したと発表した。同財団は「当地域が人々の往来の場であったことが明らかになった。那珂市域の歴史を解明する上で貴重な資料となる」としている。

調査は遺跡東部が対象で、広さは1596平方メートル。東西に約120メートル、南北最大約17メートルという横長の形状。平安時代(9~11世紀)の竪穴建物跡11棟や土坑約120基などのほか、鎌倉時代から江戸時代に機能していたとされる道路跡1条や溝跡5条などを確認した。竪穴建物跡から土師(はじ)器と須恵器の甕(かめ)や坏(つき)、墨書土器が、道路跡から古瀬戸・常滑の陶器や青磁のほか、銭をひもで束ねた緡銭(さしぜに)などが出土した。

道路跡は幅5~6メートルで、調査エリア全体にわたる。両側に溝(側溝)があり、円形や楕円(だえん)形のくぼみが一定間隔で並ぶ「波板状凹凸面」と呼ばれる道路構築時の工法も確認された。

同財団は「文献と照らし合わせると、この道路は南北朝時代(14世紀)の瓜連と白河を結ぶ『依上(よりかみ)道』、江戸時代の水戸城下と陸奥国を結ぶ『南郷(なんごう)道』になる可能性がある」としている。

同遺跡は久慈川支流の玉川右岸の台地(標高42メートル)に位置する。2012年度から断続的に調査を行っており、今回が6次調査になる。

現地説明会は9月3日午前10時から。

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