山方出身の志士供養 幕末の中染合戦語る会

茨城新聞
2016年8月28日

常陸大宮市の山方郷土史クラブ(金子理一郎代表)と水戸市の回天神社(滝田昌生代表役員)は27日、常陸大宮市山方の山方農林漁家高齢者センターで「中染合戦」を語る会を開いた。関係者をはじめ志士の子孫、一般市民ら約80人が参加。幕末に殉難した山方地区出身の志士らを供養し、郷土の歴史に理解を深めた。

山方出身の志士らは、水戸藩主徳川慶篤が天狗、諸生両派の抗争による領内の混乱を収拾するため、名代として派遣した松平頼徳に同行した榊原新左衛門派の大津彦之允隊に属していた。諸生派が頼徳らの水戸入城を拒否し、那珂湊の戦いとなり、大津隊約200人は助川城に入ったが、諸生派の攻撃を受けて脱出。中染の持宝院如意輪寺(常陸太田市中染町)に潜伏中に攻められ、隊は敗走し解散した。

講演で、金子代表は「大津隊に山方出身者が27人いた。うち11人が中染合戦で戦死したほか、郷里に戻ったものの諸生派に襲われて自刃、捕えられて獄死した」と解説。滝田代表役員は「大津隊は兵糧運搬が任務で、全員が武装していたとは思われず、悲惨だ」と述べた。

講演に先立ち、参加者らは中染合戦跡を見学し、供養塔に線香を手向けた。この後、志士の子孫、根本嘉朗さん(元山方町長)方御霊屋で志士らの慰霊祭を行った。中染合戦で亡くなった志士の子孫、大津輝子さんは「戦跡を初めて訪れた。先祖の足跡が分かり、参加してよかった」と話していた。

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