坂東で企画展 飯沼新田開発の歴史紹介
江戸時代に始まった坂東、常総、古河、八千代各市町にまたがる水田地帯「飯沼新田」(約1500ヘクタール)について、開発の歴史を紹介する企画展「飯沼新田物語~水との苦闘300年 豊作を夢見た先人たち」が、さしま郷土館ミューズ(坂東市山)で開かれている。新田開発に関係した古文書などや、今回撮影された水害の写真21点を含む約150点が展示され、地域の水との闘いの歴史に光を当てた。入場無料。12月27日まで。
同地はかつて飯沼と呼ばれた湖沼だったが、将軍徳川吉宗による享保の改革の一環で、新田開発が進められた。幕府の役人、井澤弥惣兵衛が紀州流の治水技術を導入し、1725(享保10)年1月に着工。鬼怒川から取水する吉田用水を掘削し、干拓に伴って現在の東仁連川と西仁連川、飯沼川の原形となる河川が形造られた。当初の工事は約2年半後に完工し、約1万4千石の新田が生まれた。
展示では、着工前に新田開発の成功を祈願した名主ら144人による血判状の複製、1800年前後に善政を行ったとして名高い同地の代官、岸本武太夫(ぶだゆう)就美(なりよし)と武八(ぶはち)荘美(しげよし)親子の治世についての解説、1938年の水害や現在の茨城南総土地改良区へと至る近代の開発の歴史も紹介された。
板垣隆館長(60)は「コメが求められる時代に水と悪戦苦闘して干拓し、素晴らしい水田が造られた。だが災害は忘れたころにやってくる。日ごろから先人の歴史、教訓を心に留めていかなければいけない」と話している。
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