《茨城いちばん》笠間焼 自由な作風で存在感
茨城新聞
2018年4月29日
「笠間焼」の歴史は、江戸中期にまでさかのぼる。箱田村(現笠間市箱田)の名主、久野半右衛門が近江国(滋賀県)信楽の陶工長右衛門を雇い、陶器を焼き始めた。
明治期は主にかめ、とっくり、湯たんぽ、すり鉢などを制作し、すり鉢は関東一円から東日本へと販路を拡大。戦後は需要面で厳しい環境に立たされたが、県立窯業指導所や窯業団地の整備など官民一体で振興に努め、製品も花器や食器、ブローチなど工芸品に転換する。
近年は2016年に造形・デザイン教育に重点を置いた県立笠間陶芸大学校が開校し、人材育成に期待が寄せられている。
笠間焼の魅力は型にはまらない自由な作風。市内では県内外の多くの陶芸家が活躍し、1993年に松井康成さんが人間国宝として名を刻み、2015年には井上英基さんが日本陶芸展で大賞に輝いた。
市内には作品を展示する多くのギャラリーや窯元が点在。毎年、ゴールデンウイークに合わせて、笠間焼の祭典「笠間の陶炎祭(ひまつり)」を開催。作品の展示販売と併せて食や音楽のイベントも開かれ、人気を集める。
【メモ】陶炎祭は笠間焼協同組合が主催。今年37回目。笠間芸術の森公園で約200の窯元や陶芸家が笠間焼を展示販売する。昨年は7日間で53万4千人が来場した。
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