《三碑の里訪ねて(5)》観音山丘陵 五つの城跡 中世以降 武士が拠点

上毛新聞
2016年11月17日

金井沢碑、山上碑がある観音山丘陵は、石材、木材など資源が豊富で古代から開発が進んだという。中世以降には武士が拠点を置き、五つの城が築かれるなど戦国時代にかけても重要な役割を果たしてきた。
丘陵に築かれた茶臼山、根小屋、乗附(寺尾上)、寺尾中、山名(寺尾下)の5城は南北朝や戦国時代の動乱を経て構造や規模は変遷した。
このうち茶臼山城は戦国時代まで400年の歴史があり、鎌倉時代に新田氏の祖となる義重が居住したとされる。歴史書「吾妻鏡」では源頼朝が1180年に平家討伐へ旗揚げし、周辺武士団に援軍を求めた際、義重は応じず「寺尾城」にこもったと記される。
寺尾城は史料で確認できる県内最古級の武士の城とされ、城山町住民でつくる歴史サークル考楽会の木村晃会長(73)は「古代を含め、観音山周辺は豊かな歴史を持つ地域」と話す。地名が残る寺尾町は茶臼山城のある城山町に隣接するが、一方で寺尾城所在地には太田(新田)説もあるという。
丘陵では金井沢碑と山上碑を結ぶ5キロの自然歩道「石碑の路」の散策も楽しめる。歩道には地元で建設会社を営んだ故信沢克己さんが先人の詩歌や言葉を残そうと、私費で作った29基の石碑が並ぶ。
一部未設置で放置されていた石碑もあったが、高崎商科大生と住民が2009年から3年がかりで、石碑の再配置や草刈り、碑文の読み取りを行うなど再生、趣ある空間として整備している。

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