プロ3球団監督 根本陸夫さん人物像迫る 「球界の寝業師」異名 出身地の東海で企画展 茨城

茨城新聞
2026年1月6日

昭和から平成にかけてプロ野球3球団で監督を務めた茨城県東海村出身の根本陸夫さん(1926~99年)の人物像に迫る「根本陸夫展」が、同村村松の村歴史と未来の交流館で開かれている。「球界の寝業師」との異名もある郷土の偉人に光を当てようと、生誕100年に当たるのを機に同館が企画した。

根本さんは同村(旧石神村)の実業家の家に生まれた。父親は第2代村長を務めた。根本さんは戦時中の日大三中(現日大三高)や戦後間もない法政大で選手として活躍。52年にプロ野球の近鉄パールス(後のバファローズ)に入団。選手生活は6年間で終えるが、スカウトなど球団の裏方として辣腕(らつわん)を振るい、広島東洋カープ、西武ライオンズ、福岡ダイエーホークスで監督を務めた。

3球団とも根本さんの監督時代には頂点こそ極めなかったが、いずれも後の監督が初優勝を果たした。根本さんがそれぞれ「常勝集団」の礎を築いたとされる。

西武監督時代は3年間で50人超もの選手を入れ替え、広岡達朗氏に監督を引き継いだ。ダイエー時代は監督兼球団役員・本部長でもあり、王貞治氏を後任監督に招請。99年、王監督の下で球団初のリーグ優勝・日本一を達成した。この年、根本さんは同球団の社長だったが、優勝を見届けず4月に死去。2001年に野球殿堂入りした。

展示では土井正博さんや衣笠祥雄さん、森繁和さんなど往年の名選手の言葉や逸話を紹介。こわもてながら慕われた根本さんの人物像を浮かび上がらせる。

企画を担当した同館の林恵子学芸員は「野球は人間形成の手段。根本さんには、そういう考え方がずっとあった」とし、「人を大事にして育て、野球界を裏方で大きく動かした。そういう人物が、東海村で生まれたことを知ってほしい」と話している。

同展は2月15日まで。関連企画として、石毛宏典さんの講演会「おやじ・根本陸夫を語る」が1月25日午後2時から、村産業・情報プラザ「アイヴィル」で開かれる。希望者は同20日までに電話かメール(maruhaku@vill.tokai.ibaraki.jp)で申し込む。