阿見で50回式典、予科練戦没者を慰霊

茨城新聞
2017年5月29日

第2次大戦中、阿見町にあった予科練の戦没者を弔う慰霊祭が28日、同町青宿の陸自武器学校内の雄翔園で開かれた。50回目の記念の式典には、生存している元予科練生約80人を含む約330人が出席。花や哀悼の歌を捧げて平和への思いを新たにした。

慰霊祭は1968年に第1回を開き、今年節目を迎えた。式典には元予科練生のほか、予科練戦没者の遺族約100人と、来賓や自衛隊関係者など約150人が参列。予科練出身者らで組織する「海原会」理事長で、自らもゼロ戦に搭乗した慰霊祭実行委員長の堺周一さん(91)は「命ある限り戦没者の慰霊をしたい」と式辞を述べた。

戦没者に対し黙とうや献花があったほか、つちうら混声合唱団が慰霊の哀悼歌などを披露した。

おじが予科練生でマリアナ沖海戦で人間魚雷「回天」を操縦して戦死した北村直也さん(58)=長野県千曲市=は「おじは家族以上に国を思って死んでいくという手紙を残した。生と死のはざまの感情はいかなるものか考えると胸が痛む。後世に伝承していければ」と話した。

元予科練生の水戸市小吹町、住谷定さん(88)は、三重海軍航空隊奈良分遣隊に配属された。戦況悪化に伴い特攻隊の訓練も受けたが、三浦三崎(神奈川県三浦市)で終戦を迎えた。「家族も戦争で失った。今の平和が尊い犠牲の上に築かれたことを忘れず、戦争のない世界になってほしい」と願った。 

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