伊勢崎三郷小の新田義貞像 没600年の1938年に寄贈 森村酉三作 生誕120年で再注目 

上毛新聞
2017年2月13日

伊勢崎三郷小の校長室に保管されている伊勢崎市出身の鋳金工芸家、森村酉三(とりぞう)(1897~1949)=豆字典=作の新田義貞像が、義貞戦没600年に当たる1938年に同校に寄贈されたことが、木村収校長の調査で分かった。同じ銅像は群馬大附属小にあり、他にも寄贈された小学校がある可能性が高いという。今年は酉三生誕120年に当たり、木村校長は「節目の年に再注目されれば」と期待している。
三郷小で保管されているのは、義貞が鎌倉幕府を攻める際に稲村ケ崎(神奈川県)で剣を投じて祈る場面の銅像で高さ45センチ。台座に酉三の名前と寄贈者名が刻まれている。
木村校長が酉(とり)年にちなんでこの像を児童向けのあいさつで取り上げたのをきっかけに、同校の沿革誌を調べたところ、38年11月16日に「長澤清氏ヨリ新田公銅像(一尺五寸)寄贈セラル」との記述を発見した。
市教委の田貝猛指導主事が附属小に同じ像があったことを覚えていて確認したところ、大きさや形が同じで台座に酉三の名が刻まれていた。三郷小と同様に由来不明のまま教材室に保管され、授業に活用されることもあったという。
義貞と酉三に関する著作がある前橋市歴史文化遺産活用担当参事の手島仁さんによると、酉三作の義貞像は中島飛行機創設者の中島知久平が30年の群馬会館完成時に寄贈した銅像が最初とされる。
当時、県内で義貞を郷土の偉人として評価する動きが広まり、38年の戦没600年記念祭や40年の皇紀2600年記念に合わせ、群馬会館の像がモデルとみられる高さ1メートル弱の銅像が県内19の小学校に地元有力者や同窓会の寄贈で建立された。ただ、戦時中の金属類回収令や盗難被害で現存するものはない。
手島さんは三郷、附属両小の像は同じ趣旨で寄贈され、小さいために供出を免れたと推測。似た像が古美術品市場に出回る例があり、寄贈された一部の学校は由来不明のため処分した可能性があると指摘した上で、「三郷小のように資料の裏付けがある形で来歴が分かることは重要。地域の偉人を通じた、当時の郷土教育や郷土づくりの貴重な資料になる」と話している。

【豆字典】
森村酉三 宮郷村上連取(現伊勢崎市連取町)出身。東京美術学校(現東京芸大)で鋳金を学び、文展・帝展で連続入選。海外美術展にも出品した。高崎白衣大観音像の原型を手掛けたことで知られる。群馬会館完成時は小栗上野介、高山彦九郎のレリーフを制作した。

 

※写真:義貞像寄贈の記述がある沿革誌を示す木村校長。手前が三郷小の像(右)と附属小の像

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