《上州ブランド図鑑》びっくり舞茸
箱の中から飛び出すような大きさと鮮度の良さに驚かされる「びっくり舞茸」。キノコ・輪大(わーるど)(高崎市倉賀野町)が生産するマイタケのうち、特に厳選されたものにだけ名付けられる「称号」だ。キノコ作りの素人から始まった苦難の道を乗り越え、高品質な商品を提供するまでに至った自負が感じられる。(高瀬直)
◎素人から出発
鈴木晴男社長(70)がマイタケ生産に参入したのは34歳の時。それまでは機械メーカーに勤めていた。親戚から勧められたこともあり、人工栽培技術が確立して間もないマイタケ栽培に目を付けて、1981年に創業した。
実家は米麦の農家だったが、キノコに関しては「ど素人」からの出発だった。1日100キロの収穫を目標としたものの失敗が続いた。「さんざんキノコを全滅させた。(栽培の)マニュアルはあっても、そのままでは駄目。自分なりに解釈して何度も何度も試した」。1回失敗したら2回目には繰り返さないように心掛け、100回、200回、500回と挑戦し続けた。
最初は家族だけで取り組み、栽培方法は自分だけしか分からないようにしていた。「今思えば、何を寝ぼけたこと言ってるんだと思うが、当時はやってやるという思いが強かった」と鈴木社長。しかし、マイタケを育てる培地に雑菌が入って死滅してしまうことなどが重なり、ようやく外部のアドバイスを入れるようにした。
やがてゼロだった収穫量が50キロ採れるようになり、目標の100キロを上回るほどにもなった。それでも安定生産には10年近くの歳月を要した。
当時マイタケの相場が1キロ3千~5千円だった。それが大手の台頭で千円以下にまで下がっていった。どこでもマイタケが手に入るようになり、価格体系に対抗しうる規模や設備を持たない栽培農家の中には撤退するところも多くなったという。
◎出荷先絞る
生き残り策として考えたのは「品質と客先を絞ること」だった。高いレベルで品質を維持し、客が欲しいときにその数量を提供することが必要と考えた。
マイタケを育てる培地には、ほだ木と広葉樹のおがくずに、ビールかすと乾燥おからを適当なバランスで配合したものを使う。研究を重ねてたどり着いた。それを100度の蒸気で6時間殺菌し、菌を植える。出荷までに2カ月を要する。
その間の温度や湿度、二酸化炭素濃度、照度の管理が鍵を握る。重要なのが「駄目にならない程度にいかに乾かすか」。そうすることで香りや味が良く、肉厚なキノコに育つという。
◎3割が直販
現在、生産したうちの7割は農協を通して市場へ出荷し、残る3割が店舗での直販だ。
直販の看板商品「びっくり舞茸」は贈られた客がその大きさにびっくりした、という声から命名した。乾き具合や葉っぱの形状、肉厚さなどを比べて、上位5%程度が判断基準。650グラム以上を目安に高品質な1株丸ごとのマイタケのみを厳選している。
びっくり舞茸を使用した加工食品「炊き込みごはんの素(もと)」も販売している。素材の風味が生きるよう薄味にしている。「ちっとんべーサイズ」(鈴木社長)という1合炊きから用意し、使いやすさも考慮した。
◎輸出夢見る
1日に仕込むのは2千株。隣同士で育てるマイタケでも、温度や二酸化炭素濃度が同じなのに、出来栄えにばらつきが出ることがある。「意思があるんじゃないかというぐらい、マイタケは文句たれてるよ」と、鈴木社長は笑う。
2千株の生育をいかに均一にして生産を安定させるか、半生をマイタケと共に過ごしてきたが、研究は日々続いていく。
「高崎から海外へ、マイタケの輸出もやれればうれしい」。具体的な構想はないがそう思い描く。そのためには今より3日以上鮮度を長く保ち、日本よりも高く売れなければならない。さらに高いレベルの品質が求められる。「体にも良い優秀な食品であるキノコをもっと広めていきたい」。情熱が衰えることはない。
◎ふるさと納税返礼品に
県きのこ普及室によると、2016年の本県のキノコ生産量は7460トンで全国10位だった。生シイタケが3991トン(全国5位)で最多。マイタケが1383トン(6位)、ナメコが1016トン(6位)、エノキダケが592トン(15位)で続く。
キノコ・輪大のマイタケ生産量は1日1トン、年間で260トン余り。同社は06年の県きのこ品評会から知事賞を連続で獲得しており、品質の高さを維持している。
高崎市のふるさと納税の返礼品にも採用されている。1万円、3万円、5万円以上の各寄付で、それぞれ「びっくり舞茸」や「炊き込みごはんの素」などが贈られている。
【データ】1981年に創業し、94年にきのこワールドとして株式会社化。従業員約20人。贈答用の「びっくり舞茸」は箱入りで1株1620円。直販店の営業は午前9時半~午後4時(日曜祝日休業)。
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