栃木県真岡市が“日本一のいちごのまち”になるまで 先見の明から不動のトップランナーに
冬の果物の代表格として老若男女に愛される「いちご」。栃木県が生産量日本一であることはよく知られているが、その栃木県内で最も多くの生産量を誇るのが真岡市だ。本格栽培のスタートから60年あまり。真岡市が「日本一のいちごのまち」になるまでの歴史とは。
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いちごホール、いちごバス、いちごの湯、いちごゴルフクラブ-。そして掲げる「日本一のいちごのまち」。真岡市にとってイチゴは、アイデンティティーの象徴だ。
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二宮町史などによると、市内での本格栽培は1957年、二宮町東物井の農業研究クラブの農家によって米麦栽培の裏作として始まった。「県産イチゴの父」、足利市の仁井田一郎氏の元に通って学んだ。
「イチゴ栽培が珍しかった時代。先人たちの先見の明のおかげでわれわれがある」。JAはが野いちご部会長の苅田聡さん(60)は苦労に思いをはせる。
露地栽培からトンネル、株冷蔵、高冷地育苗、電照促成、ウオーターカーテン、夜冷育苗と栽培技術は進化した。ダナー、麗紅、栃木県初のオリジナル品種女峰、とちおとめと品種改良も進み、農家数は拡大した。
92年には二宮町で栽培戸数430戸、販売額40億円に上った。その頃までには全国一のイチゴ生産の町となったとされる。
「他の地域よりいち早く取り組む意欲、とことん研究する農民魂をイチゴ栽培にぶつけ日本一の産地をつくり上げてきた」。町史の資料には、二宮尊徳の報徳精神を継承、実践してきた結果との記述もある。
2009年、真岡市と二宮町の合併で農家数が増え、より盤石になった。23年産では県内の生産量、販売額の32%超を占め「いちご王国栃木」の先頭を走る。
一方、農家のなり手不足や産地間競争の激化など先行きは楽観視できない。苅田さんは「産地として勉強、研究、努力を続け、消費者に喜ばれるイチゴを作り続けなくてはならない」と気を引き締める。
(下野新聞の栃木県誕生150年企画「わがまちの変遷」2023年8月11日付より)