《挑戦の100回・水戸室内管弦楽団》(中) 欧州で「奇跡のオケ」

茨城新聞
2017年10月8日

結成から8年たった1998年6月、初のヨーロッパ公演に挑んだ。

「腕っこきのソリストを集め、世界に通用する最高水準の室内管弦楽団にしたい」。館長の吉田秀和が提唱して誕生した水戸室内管弦楽団(MCO)。ヨーロッパの旅は、初演から30回以上の演奏会で培った実力を試す武者修行だった。

演奏会を開いたのは、ハンブルク、チューリヒ、ウィーン、ルートヴィヒスブルク、フィレンツェの5都市。音楽の都、ウィーン以外は比較的小さな街だったが、いずれもクラシック音楽に対する誇りと愛着にあふれている。吉田は確かな耳を持った聴衆の前で演奏することに意味を見いだしていた。

プログラムは、シューベルト(マーラー編曲)「死と乙女」(弦楽合奏版)、武満徹「海へ(2)」、ストラビンスキー「組曲プルチネッラ」の3作品。指揮者の小澤征爾(当時62歳)を中心に、楽団員は国内外で活躍する管弦楽奏者37人で構成した。

初演地のハンブルクでは3日間、延べ20時間以上をリハーサルに割いた。公演先では、本番前に必ずゲネプロ(通しリハーサル)を行った。

小澤の音づくりの特徴は、楽団員に対して自分の要求を押し付けないところ。言い換えれば、自分の要求や考え方が、無理せず実現できるのがMCOだった。それを可能にしたのは、高度な演奏技術を持った者同士の固い信頼関係に他ならなかった。

元本紙記者の鈴木勉(73)は、ヨーロッパ公演を同行取材し、現地での反応を肌で感じた。「最初のハンブルクからチューリヒ、ウィーンと聴衆は皆、喜んでいた。事実、演奏は公演ごとに良くなった。小澤さんの指揮は、オーケストラの技量を存分に引き出していた」と振り返る。

鈴木の中では、二つの都市の公演が強く印象に刻まれている。

一つは、ルートヴィヒスブルク公演。演奏終了後、大拍手の中、ステージの楽団員全員に花が一輪ずつ贈られた。思いがけない演出に、総楽団長の小口達夫(当時67歳)は「泣いちゃったよ。喜んでくれて、うれしいね」と、顔をくしゃくしゃにした。

もう一つは、フィレンツェ公演。会場のテアトロ・コムナーレは、直前のリハーサル中に猛烈な雷雨に見舞われた。市内で人的被害が出たほどの激しさ。会場は水浸しとなり、開演は1時間以上遅れた。ハプニングは続いた。「死と乙女」の演奏中、突然の停電で会場の照明が消えた。

暗がりの中、小澤は指揮を続け、メンバーもたじろぐことなく奏でた。終演後の拍手は一段と大きく、聴衆は喜びをストレートに表現。翌日の地元紙は「水戸から来た奇跡のオケ」と称賛の記事を掲載した。

第1回のヨーロッパ公演は成功裏に終わり、2001年の第2回、08年の第3回へとつながっていった。 (敬称略)

【写真】終演後、大きな拍手を受ける水戸室内管弦楽団=イタリア・フィレンツェのテアトロ・コムナーレ、大窪道治さん撮影(水戸芸術館提供)

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