佐竹氏500年、多様な考察 研究者18人、学術書刊行

茨城新聞
2017年2月27日

平安時代後期から約500年間、茨城県北部地域(奥七郡)を中心に常陸国を支配した佐竹氏。その成立から秋田国替えに至る流れを考察する学術書「佐竹一族の中世」が、地域史に携わる若手研究者18人によって刊行された。「500年近く続いた武士の歴史を忠実にたどり、最新の研究成果を交えて論じているのが本書の特徴」と、監修を務めた茨城大学人文学部教授の高橋修さん(52)=日本中世史。関連する文化財や城跡を題材に、写真や地図が付いたコラムを掲載するなど、親しみやすい内容となっている。

佐竹氏は源氏の一族で、平安時代後期、源義光(よしみつ)の孫、昌義(まさよし)が常陸国久慈郡佐竹郷(現在の常陸太田市)に土着定住して、佐竹冠者を名乗ったのが始まりとされている。当初は常陸奥七郡の豪族であったが、鎌倉・室町幕府の御家人として活躍し、貞義(さだよし)以降は常陸国の守護職として一族の内乱や諸勢力と戦いながら発展した。

室町時代末期から安土・桃山時代にかけた義重(よししげ)、義宣(よしのぶ)の時代には太田から水戸に進出し、豊臣秀吉政権の偉功を背景に常陸国を統一。54万8千石の知行を与えられ、「常州の旗頭」に任じられた。

1600(慶長5)年の関ケ原の戦いでは、東西両軍に対して明確な態度を示さなかったため、徳川家康の命によって出羽国(秋田)へ国替えされたが、佐竹氏の常陸国支配は昌義から数えて義宣までの20代、約500年におよんだ。

同書は、佐竹氏の成立から秋田移封に至る流れを、南北朝動乱との関わり、戦国期の南奥進出、豊臣政権との関係性などを切り口に考察。執筆には、高橋さんをはじめ、大学の歴史研究者や高校教諭ら18人が携わってる。

このうち、大学時代に高橋さんから指導を受け、現在は県教育庁文化課職員の山川千博さん(34)は、佐竹氏内部の後継問題に端を発し、1407年から100年近く続いた対立抗争を題材に執筆。「佐竹の乱」の各段階を、常陸国内の出来事と限定せず、室町幕府と鎌倉公方の対立という大きな構図の中で論じている。

茨城大学研究員の森木悠介さん(29)は、豊臣政権との関係性を軸に、関ケ原の戦いを経て秋田移封に至る佐竹氏の動向に焦点を当ている。秀吉の天下統一後、東国の再編や、際限ない軍役・夫役の負担など、佐竹氏内部でさまざまな矛盾を抱えていたことを指摘。「佐竹氏は結束力が弱まり、一枚岩にはなれなかった。このため、関ケ原の戦いで中途半端な態度を取らざるを得なくなり、後の秋田移封につながった」と推察している。

このほか、佐竹氏の歴史を身近に感じてもらえるよう、関連する文化財や城跡を題材に、写真や地図が付いたコラムを掲載。佐竹氏と奥州藤原氏との深い縁を示す西光寺(常陸太田市)の「木造薬師如来坐像」や、佐竹義宣が奉納したとされる水戸八幡宮(水戸市)の「黒韋(くろかわ)肩浅葱(かたあさぎ)糸威(いとおどし)筋兜(すじかぶと)」などが紹介されている。

「県北を中心に一帯を長く支配した佐竹氏は、地域の枠組みや文化の基礎を作った。その流れを知らなければ、後に続く徳川の歴史や、私たちが生活する現代を理解することができない」と、研究の意義を強調する高橋さん。「本の執筆には、県内の文化財保護に取り組むなど、土地から歴史を語れる研究者が参加している。佐竹氏について多様なテーマで議論することがなかっただけに、研究の出発点としたい」と話している。

「佐竹一族の中世」は3780円。問い合わせは高志書院(電)03(5275)5591。 

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