《井伊氏と高崎安中(5)》高崎宿 直政に商都のルーツ 

上毛新聞
2017年2月21日

高崎での新たなまちづくりに当たり、井伊直政は箕輪城下にあった神社仏閣に加え、居住区ごと商人、職人を移した。その名残として、高崎には「連雀町」や「紺屋町」「大雲寺」など、箕郷に由来する町名や寺院が多く残っている。
直政が居城を和田の地に構えて以来、高崎は高崎城を中心とする城下町として栄えた。武士を相手とした消費都市としてにぎわったが、中山道と三国・信州街道が交わる交通の要衝であったため、宿場町としても大きく繁栄した。
江戸時代の高崎のにぎわいは「お江戸見たけりゃ高崎田町 紺の暖簾(のれん)がひらひらと」とうたわれるほど。町の経済を安定させるために六斎市が開かれ、江戸後期には上州絹の市も立った。
長野堰用水の整備もあり、18世紀半ばになると、染め物業者も増えていった。西上州を中心に生産された生絹の生産量が急速に伸び、日本の近代化に伴う着物需要の拡大を支えた。
1566年創業の老舗、糀屋は、高崎市元紺屋町の旧中山道の通りに現在も蔵を持つ。創業当初から地元の農民、町民のほか、江戸に出向き、米こうじやみそ、漬物の商売をしていたという。
22代目社長の飯嶋藤平さん(60)は「江戸時代から地域の人々に支えられ、会社も育ってきた」と話す。その上で「城を築いた直政は軍事的観点とともに、まちづくりでは地域の商人や産業を重視していた。商都高崎と呼ばれるルーツが直政にある」と話している。

 

【写真】直政が都市基盤を整備した高崎。時代に合わせたまちづくりが続いている

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