金井遺跡群(群馬・渋川市)の出土品に注目 国宝埴輪の甲と共通点 県立歴史博物館(高崎市)で企画展

出土品は時代を映す鏡である。6世紀の榛名山噴火で被災し、「甲(よろい)を着た古墳人」が発見された群馬県渋川市の金井遺跡群に焦点を当てた企画展が、高崎市の県立歴史博物館で開かれている。17年ぶりに群馬県に“里帰り”中の国宝埴輪(はにわ)や同遺跡群出土品から古墳人が生きた世界をたどる。
太田市飯塚町で出土した国宝「埴輪 挂甲(けいこう)の武人」。武器や武具が精緻に表現され、古墳時代後期の東国武人の装いがうかがえる。
注目すべきは甲だ。長方形の板をいくつも並べたような表現が見られる。これは「小札(こざね)」という小さな鉄の板でできた甲で、「小札甲(こざねよろい)(挂甲)」と呼ばれる。孔(あな)の開いた小札を数百枚、中には千枚以上使った例もあり、組みひもや革ひもで1枚ずつ縦横に組み上げるため伸縮自在で動きやすい。
金井東裏遺跡で甲を着けた姿で発見された「甲を着た古墳人」の甲も、挂甲の武人と同じ小札甲だ。古墳人の甲は約1800枚の小札が使われたと想定され、絹の組みひもを使った最高級品だった。
小札甲は全国で出土例があるが、特に多いのが群馬県である。井出二子山古墳(高崎市)、簗瀬二子塚古墳(安中市)など5世紀後半から6世紀にかけての大型前方後円墳の副葬品として確認されている。
群馬県で広く副葬された理由について、学芸員の飯田浩光さんは「馬に乗る時も使いやすい。東国の人が軍事的な場面で活躍を求められていたからではないか」と推測する。
同展は、同遺跡群の出土品約1800点が昨年9月に国重要文化財に指定されたことを記念して企画された。古墳人が着ていた実際の小札甲や衝角付冑(しょうかくつきかぶと)も展示されており、挂甲の武人の甲冑(かっちゅう)と見比べると当時をイメージしやすい。
出土品からは被災直前の暮らしも浮かび上がってくる。同遺跡群には数カ所で「マツリ」の跡が残っていた。理由の一つに自然の変化を鎮めるように祈っていたことが考えられるという。金井東裏遺跡の3号祭祀(さいし)遺構では土器や祭具が大量に集積し、鉄でできた農工具は実用的ではないミニチュアもあることから、マツリ用の特注だったとみられる。
人々は噴火の予兆を感じていたようだ。火山灰が降った後、激しい火砕流が押し寄せる前に西から東へ避難していたとみられる人の足跡や馬のひづめ跡が同遺跡群に残っていた。
海から遠い内陸であるものの、その地形を生かして馬生産や物作りなど最先端のものを取り入れ、たくましく生きた古墳人。周辺では復興の動きも見られることから、災害を乗り越え、この地にメリットを感じて暮らし続けたといえるだろう。
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