《井伊氏と高崎安中(6)》安中城 廃城を直勝が再建
高崎から彦根に移った井伊直政。長男の直勝が初代安中藩主となったのは、大坂冬の陣後の1615年だった。
1559年に安中忠政が築いた安中城は、碓氷川と九十九川の合流地点にあり、扇城の別名もある。90年に豊臣秀吉の小田原征伐があり、北条方に属した安中氏も没落、安中城は廃城となった。
この安中城再建が直勝の最初の仕事だった。直勝は直政の後を継いで彦根藩主となったが、家臣の騒動などで藩主を降り、安中藩3万石を新たに築いた。
安中城は瓦ぶき陣屋造りだったとされ、市文化センターに本丸、安中小に二の丸が置かれたという。現在は安中小に「安中城址(し)」の碑がある。城の南に面した通りは武家長屋や郡奉行役宅が残り「大名小路」の地名も伝わる。
かつて城の東西にも藩士宅が並び、関連施設を含めた広さは約16万8千平方メートルだった。後の安中藩板倉家は安中に約140人、江戸に約100人の藩士がいたといい、直勝の時代もほぼ同規模の体制だったと考えられている。
城の南には中山道が整備され、直勝は東西約700メートルにわたる安中宿の町割りを担当した。県内7宿で最小規模であり、幕府が定めた人足50人と馬50頭の負担が大きくのしかかった。
市観光ボランティアガイドで、安中城や安中宿の模型を制作した篠原益雄さん(76)は「経済規模の小さい安中藩にとって負担が重すぎ、幕府の道中奉行に願い出て、実際に用意するのは半分にしてもらった」と解説する。
直勝の後を継いだ直好は1645年に三河西尾藩へ転封となり、直勝も30年過ごした安中の地を去った。
【写真】安中小にある「安中城址」の碑
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