政宗が秀吉へ書状 宇都宮の戦国秘話に光

下野新聞
2015年8月14日

 県立博物館が取得した戦国大名で初代仙台藩主・伊達政宗(だてまさむね)の直筆書状は、宇都宮の歴史秘話に光を当てる価値ある史料といえる。調査した江田郁夫(えだいくお)同館学芸部長は「宇都宮で天下統一の総仕上げをしたことを裏付ける貴重な資料」と分析した上で、地勢的、政治的にも宇都宮の重要性を再認識する必要性を指摘。「歴史的にもっと宇都宮が注目されてもいい」と話している。

 宇都宮で行った「関東仕置」は、あまり聞き慣れないが豊臣秀吉(とよとみひでよし)の天下統一で重要な役割を担っていた。

 秀吉は1590年7月26日から8月4日までと14、15日にかけて宇都宮に滞在。北条氏(神奈川県小田原市)を降伏させた後、関東地域の戦後処理に当たった。秀吉のもとには徳川家康(とくがわいえやす)をはじめ、服従を伝えて領地の保証を取り付けるため、同地域や後の関ヶ原の戦いで西軍につく有力な諸将らが集結していた。

 奥羽の南部氏は青森から宇都宮に駆けつけるほどだった。一方、県内の那須氏は、あいさつに来なかったことから、のちに復活するがこの時期取りつぶしになっている。秀吉は宇都宮でほぼ大名の配置など今後の関東と奥羽の一部分を治める施策を決めた。

 家康は8月1日、江戸に入ったといわれ、伊達政宗(だてまさむね)は鬼怒川の洪水で足止めされながらも、同月上旬には「奥羽仕置」の先導役として宇都宮をたち白河(福島)を経て米沢(山形)へ向かうことになる。

 秀吉は「関東仕置」と「奥羽仕置」で全国を平定したといえる。江田郁夫(えだいくお)県立博物館学芸部長は「源頼朝(みなもとのよりとも)は奥州(藤原氏)征討の際、宇都宮で必勝祈願をしている。秀吉も宇都宮を地勢、政治的に関東、東北の拠点としていたことがうかがえる」と指摘している。

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