藩医「河口家」の業績紹介 古河歴史博物館で企画展 解剖刀や臓器図も 茨城

茨城新聞
2025年6月14日

江戸時代に日本の医師として初めて人間の脳と眼球の解剖を行った古河藩医の河口信任(しんにん)など河口家の業績を紹介する企画展「河口家の人びと」が、茨城県古河市中央町の古河歴史博物館で開かれている。学芸員の永用俊彦さんは「日本の医学を前進させる上でも大きな役割を果たした。その業績を多くの人に知ってもらいたい」と話す。同展は29日まで。

河口家はオランダ商館医、カスパルから外科医術を学んだ初代の河口良庵(1629~87年)以来、代々蘭方(らんぽう)医を務めてきた。カスパルの診察を受けた当時の将軍、徳川家光から医術の習得を命じられた一人が良庵だったとされる。

河口信任が使ったとされる解剖刀

同展は良庵が「カスパル流」医術の奥義を苦心してまとめた「外科要訣(ようけつ)全書」を展示する。カスパル流は同家に受け継がれ、古河藩主の土井家に藩医として召し出されることにもつながった。

河口家の中で最もよく知られているのが信任(1736~1811年)だ。1770年に医師として初めて、京都の刑場で斬首された刑死者の解剖を自ら行った。同展には72年に刊行した解剖書「解屍(かいし)編」や、信任が使ったと伝わる現存最古の解剖刀、薬箱などが紹介されている。

当時は医者であっても人体を解剖するのはタブー視された時代。特に頭部の解剖は行われたことがなかった。解屍編には医師自ら執行した所見や、臓器を一つずつ詳細に描写した解剖図23枚が収録されている。同展では、この解剖図を拡大したパネルが展示中だ。

このほか、信任の孫の信順(しんじゅん)(1793~1869年)の関連資料も紹介されている。信順は「解体新書」を翻訳したことで有名な杉田玄白に弟子入りし、当時の最先端の洋学を学んだ。古河藩にいち早く種痘(ワクチン)をもたらすなど貢献は大きかった。

問い合わせは同館(電)0280(22)5211。