詩人・暮鳥 自然と人間愛 生誕140年・没後100年記念展 「雲」の仮製本 芋銭揮毫紹介 12日から茨城・大洗

茨城新聞
2024年10月10日

「おうい雲よ」の詩の一節で知られ、日本の近代詩に大きな足跡を残した詩人・山村暮鳥(1884~1924年)。生誕140年・没後100年の今年、記念の催しが各地で開かれている。晩年を過ごした茨城県大洗町の「幕末と明治の博物館」では12日、特別展「山村暮鳥と大洗~おうい雲よ~」が開幕。代表詩集「雲」の仮製本をはじめ、交流のあった日本画家・小川芋銭(うせん)による同作の揮毫(きごう)などを集め、自然と人間への限りない愛を表現した暮鳥詩の魅力を紹介する。

暮鳥は群馬県棟高村(現高崎市)に生まれた。前橋でキリスト教の洗礼を受け、各地で伝道活動を続けた後、茨城県の水戸ステパノ教会に赴任。野口雨情や横瀬夜雨ら茨城を代表する文学者と交流しながら創作に励んだ。1919年、結核を患って教会を辞め、晩年の約5年間は大洗町で療養生活を送り、40歳の若さで生涯を終えた。

詩は、主として自然や人間への限りない愛をつづった。作風は短い人生の中で劇的に変化。従来の文学研究によれば三つの時代に大別できる。最初は前衛的で言語的実験の色彩が強い「聖三稜玻璃(せいさんりょうはり)」(15年)。次が人間や自然愛を表現した「風は草木にささやいた」(18年)。そして晩年の簡明な詩を集めた「雲」(25年)の世界。

〈おうい雲よ/ゆうゆうと/馬鹿にのんきさうぢゃないか/どこまでゆくんだ/ずつと磐城平の方までゆくんか〉(詩集「雲」より作品「雲」の一部)

暮鳥の業績を研究・顕彰する「暮鳥会」会長で、茨城高教諭の加倉井東さん(64)は、「暮鳥は時代ごとに詩のスタイルを変えている。晩年は死を強く意識し、身の回りの何げない美を切り取っていたようだ」と語る。

暮鳥の文学活動で注目すべきは、地方と中央の橋渡しをした点。茨城をはじめ、秋田、宮城、福島などで布教活動しながら、それぞれの地で文芸サークルを創設。同時に、萩原朔太郎や室生犀星らとともに中央詩壇で多くの詩を発表していた。

加倉井さんは「地方と中央を行き来した暮鳥は、地方に近代を伝え、中央に対して地方を伝えた。双方向性を持った文学者であった」と強調する。

生誕140年・没後100年の節目に、群馬県立土屋文明記念文学館(高崎市)では企画展「教科書で出会った詩人・山村暮鳥」(4~6月)を開催。いわき市立総合図書館(福島県)では「生誕140年記念 三猿文庫の中の山村暮鳥と竹久夢二」(10月27日まで)が開かれている。

生涯を閉じた大洗町の「幕末と明治の博物館」では10月12日から、特別展「山村暮鳥と大洗~おうい雲よ~」が始まる。暮鳥会の協力を得て、代表詩集「雲」の仮製本や、交流があった日本画家・小川芋銭による同作の揮毫などを紹介。詩作の土台となった当時の大洗の風景写真も展示し、没後の顕彰事業にも光を当てる。

同館の尾﨑久美子主任学芸員は「暮鳥の大洗での創作活動を主体に企画した。自然と人への愛を表現した詩の世界を感じてもらえれば」と話している。

会期は12月17日まで。同館(電)029(267)2276。

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