【城跡】戦乱の歴史 今に伝える 県内に66カ所 地域おこしに一役

上毛新聞
2016年5月8日

戦国時代の本県は、関東管領の上杉憲政(のりまさ)が藤岡から越後に逃れた後、越後の上杉氏、甲斐の武田氏、小田原の北条氏らが覇権争いを展開した。県内には指定史跡の城跡が66カ所(国史跡2、県史跡7、市町村史跡57)あり、戦乱の世を今に伝える。地元のシンボルとして親しまれ、地域おこしの役割も期待されている。

■最多は高崎
県文化財保護課によると、戦国時代の県内は自然の地形を利用した山城が多く、領土境となる山間部のほか、有力武将がいた地域に城跡が多い傾向にある。
市町村別で最多は高崎市の14カ所だが大半は倉渕、吉井、榛名、箕郷などの山間部に集中する。7カ所で続く前橋市も前橋城をのぞき大胡や粕川など赤城山南麓に分布。新潟、長野県境に近接する北毛地域には20カ所以上ある。
本県を代表する城といえば金山城跡(太田市)と箕輪城跡(高崎市)で、ともに日本100名城と国史跡に選定されている。金山城は実城(本丸)を中心とした大城郭を堅固な石垣で守る構造となっている。戦国時代の関東の山城に本格的な石垣はないとされた従来の定説を覆した。
大規模な空堀や大堀切が特徴の箕輪城は名城主、長野業政(なりまさ)の存在も名高い。武田信玄と互角の攻防戦を繰り広げた 業政は故火坂雅志さんらが小説の題材にするなど、知勇に優れた 武将とされ、剣豪として高名な上泉伊勢守信綱も仕えた。

■武将に脚光
昨今はゲームやアニメをきっかけに戦国ファンとなった「歴女」の存在もあり、さまざまな武将に脚光が集まる可能性がある。NPO法人箕輪城元気隊の宮川泰一副理事長(64)は「業政の魅力など箕輪城にまつわる歴史は物語性が高い。人気に火がついてほしい」と期待する。
城と歴史を地域おこしにつなげる動きは活発だ。長尾景虎に上杉姓を譲り、上杉謙信誕生のきっかけを与えた上杉憲政を顕彰するのは藤岡市の関東管領平井城址保存会。憲政に関する石碑を昨秋、新潟県上越市に設置した。松原三友会長(69)は「交流が生まれ、上越から藤岡に多くの人が訪れる予定。謙信とのつながりを強調し平井城を広く知らせたい」と意気込む。
4月中旬に熊本地震が発生し、国重要文化財の熊本城は石垣が崩壊するなど大きな被害を受けた。難しい作業が予想され、復旧には10年以上の歳月と多大な費用が見込まれる。ただ、城は地域のシンボルで住民の誇りとなる存在であり、少しずつでも再建に歩み出してほしい。