《真田のふるさとを訪ねる》岩櫃城跡(東吾妻町原町) 堅固な中間拠点

上毛新聞
2016年4月20日

ㅤ岩櫃(いわびつ)城は上田城と沼田城を結ぶ真田街道の中間拠点。真田氏にとって重要な城だった。幸村や信之は幼いころを岩櫃城で過ごしたと言われる。東吾妻町は本丸跡に近い平沢登山口に観光案内所を新設。ボランティア・ガイドら数人が常駐している。南面の絶壁がよく見える密岩神社では土・日・祝日に忍者の衣装で記念撮影できる「おもてなし」も行われている。
ㅤ平沢登山口はJR吾妻線の群馬原町駅に近い山の東面にあり、本丸跡までは歩いて約20分。観光案内所は毎日9時から16時まで運営され、登山客らにコースや所要時間を説明したり、パンフレットを配ったりしている。
ㅤ密岩神社は郷原駅に近い山の南面。11月までの毎週土・日と祝日の10時から15時まで、地元有志でつくる岩櫃城忍びの乱実行委員会のメンバーが観光客を出迎える。忍者の衣装や甲冑(かっちゅう)を身に着けて岩櫃山を背景に写真を撮れるのが目玉。赤い幕も用意されており「戦国時代にタイムスリップしたみたい」と好評だ。
ㅤ岩櫃城は武田氏の家臣だった真田幸隆が1563(永禄6)年に、当時の城主だった斉藤氏から奪った。幸隆の後を継いだ昌幸は上田城を築くまで岩櫃城を拠点にした。
ㅤ堅固な山城で、城郭の規模は上州最大の136ヘクタール。甲斐の岩殿城、駿河の久能城と並び、武田領内3名城と称された。
ㅤ現在、本丸跡には石碑と案内板が建ち、山頂に通じる複数の登山道が整備されている。
ㅤ昌幸は1582(天正10)年、織田・徳川連合軍に攻められていた武田勝頼を岩櫃城に迎え入れようと、南面にそのための御殿(潜龍院)を築造した。しかし、勝頼は吾妻の地に来ることなく、天目山で自刃した。この時、勝頼が来ていたら岩櫃城の歴史は大きく変わったかもしれない。
ㅤ密岩神社近くの潜龍院跡には現在、石垣が残り、案内板もある。

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