県立歴史館、密書や命令書公開 斉昭、隠密活動で謀反暴く

茨城新聞
2018年8月6日

水戸藩9代藩主・徳川斉昭が失脚中に、自分を陥れたのは門閥派の重臣・結城寅寿(とらじゅ)による陰謀と考え、謀反(むほん)の証拠を手に入れようと画策したことを示す史料が19日まで、水戸市緑町の県立歴史館で公開されている。斉昭自ら架空の商人を名乗って結城に罠(わな)を仕掛け、謀反の証人になる寅寿の家来を宇和島藩へ数年間逃れさせるという、スパイ映画のような幕末の隠密活動を、斉昭の密書や命令書、記録文書などで解き明かしている。同館は「斉昭の新たな一面を知る機会」としている。

■事件の発端

斉昭は、改革派(後の天狗党)の藤田東湖らを抜てきする一方で、門閥派(後の諸生派)の中から結城寅寿を見いだし、家老に次ぐ執政に登用。両派のバランスを取りながら藩政改革を進めた。

ところが、1844(弘化元)年、幕府から藩政の問題点とされる7カ条を詰問され、斉昭はその直後に謹慎を命じられる。「甲辰(こうしん)の国難」と呼ばれた。

斉昭は隠居させられ、改革派の東湖らも失脚。一方で門閥派の首領であった寅寿は、表面上は処分を受けながら、事件後の藩政の実権を握った。

寅寿に裏切られ、復讐(ふくしゅう)心に燃えた斉昭は、自ら江戸の商人「紙屋長兵衛(かみやちょうべえ)」に成り済まし、反逆の証拠を引き出そうと秘密工作を仕掛けた。その一部始終を斉昭が詳述した文書が、宇和島藩伊達家の「水戸一件 結城寅寿事件」として現存している。

■裏切り画策

同文書によると、紙屋長兵衛の番頭を名乗る男が寅寿の家来、庄兵衛(しょうべえ)に近づき、寅寿を裏切らせ、密談した記録や庄兵衛が寅寿の悪事を密告した肉筆証言の写しを手に入れた。

裏切りに気付いた寅寿は追手を派遣。斉昭は庄兵衛を守るため、交流のあった宇和島藩主・伊達宗城(だてむねなり)に庄兵衛を託し、護衛役として神道無念(しんとうむねん)流の達人、菊池為三郎をつけた。潜伏劇は約10年に及んだ。

菊池の子孫が歴史館に寄託した史料から、斉昭が菊池に宛てた密書や命令書、斉昭自筆の「負霜」と書かれた書画などが最近発見された。密書には「庄兵衛を伴ってどこまでも逃げろ」などと記されていた。

■混乱の出発点

斉昭は53(嘉永6)年のペリー来航を機に幕府の海防参与となり、国政を舞台にして復権を果たした。

一方の寅寿はこのとき、不義不忠の罪により長倉陣屋(常陸大宮市)に幽閉され、2年後の安政大地震で改革派の東湖らが死亡すると、その7カ月後に同陣屋で死刑に処せられた。

門閥派、改革派のリーダー的存在の2人が同時期に亡くなり、水戸藩は羅針盤を失った船のように両派による軍事的な衝突を繰り返し、明治維新後まで混迷の10年間を送ることになる。

菊池は54(安政元)年に水戸への帰参を命じられ、83(明治16)年に亡くなった。

歴史館の石井裕主任研究員は「寅寿事件は幕末水戸藩の混乱の出発点と考えられる。復讐心に燃えた斉昭が寅寿に対しスパイ工作を仕掛けていたとは大変興味深い」としている。

明治150年記念のギャラリー展第1弾「結城寅寿-仕掛けられた罠」は19日まで開催。12日午後1時半から、石井主任研究員による展示解説が行われる。

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