先人の功績知って 高崎だるま創始者 山県友五郎を顕彰 9日、慰霊祭

上毛新聞
2017年8月5日

「高崎だるま」を江戸時代に作り始めたとされる山県(やまがた)友五郎(1793~1862年)の没後155年の節目に当たる命日の9日、群馬県達磨製造協同組合は友五郎の菩提(ぼだい)寺の常安寺(高崎市下豊岡町)で慰霊祭を執り行う。近年になって没年月日が判明し、だるまの一大産地へと高崎を導いた功績をたたえるために企画した。先人の偉業を忘れぬよう、組合は8月9日を「高崎だるまの日」にすることを目指しており、10月に制定委員会を発足させ、関連事業の検討を始める。

組合や友五郎の子孫によると、友五郎は碓氷郡上豊岡村(現高崎市上豊岡町)で生まれた。若い頃に人形職人を目指して武州(現埼玉県)の人形店で修業し、天然痘よけとして売られていた「江戸だるま」を郷里に持ち帰って作り始めた。江戸時代の豊岡地域でだるまを作っていたのは友五郎家を中心とした親類縁者だけだったが、高崎中心街の田町の初市で販売されるなど技法は脈々と受け継がれた。
幕末から明治にかけて、だるま木型彫りの名人、葦名(あしな)鉄十郎盛幸(1862~1937年)が上豊岡村に住み始めて何百体もの木型を彫り、友五郎家の関係者以外もだるまを作るようになったとされる。2人のおかげで大勢の職人が高崎で育ち、「全国に類のない、だるまの大産地」が形成されたという。
鉄十郎の菩提寺でもある常安寺で行われる慰霊祭は、友五郎を供養するために読経し、没年月日を記した位牌(いはい)を持つ子孫で元新島学園高校教諭の山県英明(ひではる)さん(85)=安中市安中=や郷土史家らが講演する。
高崎だるまを生み出した先人の思いを受け止め、受け継いでいこうと組合員でつくる「だるまの町づくりプロジェクトチーム」が中心となって企画した。チームリーダーの峯岸貴美次さん(63)=高崎市中豊岡町=は「慰霊祭をきっかけに友五郎の功績を多くの人に知ってほしい」と話している。
眉(まゆ)が鶴、口髭(ひげ)が亀の縁起のよい顔の福入りだるまとして知られる高崎だるまの由来を巡っては諸説あり、天明の大飢饉(ききん)(1782~88年)の際、少林山達磨寺(同市鼻高町)の9代目住職、東嶽(とうがく)和尚が副業収入の道を開こうと、農民に製造法を伝授したとも伝わる。

 

【写真】山県友五郎没後155年をしのぶ慰霊祭を行う県達磨製造協同組合の組合員

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