200年前の墨書発見 那珂・蒼龍寺本堂

茨城新聞
2015年9月25日

那珂市南酒出の蒼龍寺(斉藤龍雄住職)で、東日本大震災で傷んだ本堂を解体したところ、200年前の建設当時に書かれた墨書を発見した。本尊を取り囲む木材の内側などに、大工らが蝦夷地(北海道)警備へ向かったことや、職人たちを「大酒飲みで困る」と寸評する文章もあり、「解体しないと見えない文字。当時の住職が書き残したタイムカプセルだ」と、関係者を興奮させている。10月4日午後1時半から同寺で発見説明会を開く。

蒼龍寺は佐竹氏が築いた寺の跡地に、水戸の千波湖畔から移転。2度の火災で建物を失ったが、1810(文化7)年に再建した。
東日本大震災で本堂が半壊し、雨漏りやアライグマがすみついたことから建て直しを決め、今年4月から解体したところ屋根裏から上棟札、本尊回りの来迎柱を支える部材から墨書が見つかった。
解読した郷土史家の元高校教諭の高橋裕文さんと、那珂歴史同好会有志の会代表の中村康雄さんによると「字体が3通り。楷書は正式記録風、草書は住職によるいたずら書き風で、文才を感じさせるユニークな内容」という。
墨書によると、1808年4月18日に上棟式を行うものの、6日後に大工18人が大公儀(幕府)の命令で、松前蝦夷ケ島(北海道)へ出陣した。
出陣前には大工たちが酒や唄、踊りに興じる様子を表現。大工の一人、須賀川浪人の源之丞という男は美男で踊りや唄がうまく、「桜花今咲き揃う」村娘たちを振り切って、蝦夷地警備へ大工たちを引き連れていった。
工事は1年余中断したが、翌年8月に再開。蝦夷から戻ってきた源之丞が出世していたことも記録している。
当時の情勢を見ると、ロシアのレザノフが04年に来航して日本との通商を求めたが幕府が拒絶。そのころ、幕府は東北諸藩に防備の出兵を命じ、蒼龍寺建設の大工たちも陣屋建設のため駆り出されたものと推測される。06~07年には、レザノフの部下が樺太、択捉などを攻撃する「文化露寇」(フボストフ事件)が発生した。
墨書説明会では墨書の内容と、フランス革命や文化露寇の関係などを、高橋、中村両氏が報告する。資料代100円。申し込みは27日までに中村さん(電)029(295)1920。 

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